2010年5月、相撲関係者の野球賭博への関与が明らかになり、場所が中止になる事態にまで発展しました。この事件が世間に知られる発端となったのが大嶽親方、元関脇 貴闘力(たかとうりき)さんです。豪快で気迫に満ちた相撲で人気があった貴闘力さんは、暴れるような身のこなしに強い体が取り柄でした。
しかし、現役の頃から厄介な精神障害と闘っていました。それがギャンブル依存症。貴闘力さんはギャンブルにはまり、相撲人生を棒に振ってしまったのです。
貴闘力さんは中学卒業後すぐに相撲界に飛び込みました。新弟子時代は寝る間もないほどでしたが、入門から6年で十両に昇進。給料がもらえるようになったため共同生活から一人暮らしへ。付き人もつき、生活が変わっていきました。
そんなある日、兄弟子に誘われて公営のギャンブル場へ。1回の勝負に10万円を賭けました。大穴的中で10万円が400万円以上に。それは味わったことのない高揚感でした。
ギャンブル依存症に陥る多くの人が、最初に勝ったことが火種になることが多いです。さらに、貴闘力さんは生い立ちも大きく影響していました。
1967年に兵庫県神戸市に生まれた貴闘力さん(本名・鎌苅忠茂)父は大のギャンブル好きでした。ギャンブルの借金で厳しい取り立てにあい、夜逃げを何度も繰り返し各地を転々とする生活を強いられました。ギャンブルをする父が憎かったと言います。
そんな貴闘力さんが夢中だったのは相撲でした。中学卒業後、一人で上京し藤島部屋に入門。借金に追われる家から早く出たいという思いもあったと言います。
初土俵から6年で十両に昇進。四股名は本名から貴闘力へ。着実に実力をつけていき将来を嘱望されました。そんな貴闘力さんですが、ギャンブルにハマり歯車が狂っていきました。
「また勝てるのではないか」と思い公営ギャンブル場へ。負けると、負けを取り返そうと連日お金をつぎこみました。やがて頭の中はギャンブルで一杯に。毎朝の日課は、稽古の後で行くギャンブルを決めること。朝の稽古を終え食事をした後は体を休めることが大事なのですが、貴闘力さんはギャンブル場へ。疲れていてもギャンブルをするのは苦じゃなかったのです。しかし、勝つのはたまに。給料も全てギャンブルでなくなりました。そのたびに後悔しましたがやめられませんでした。
貴闘力さんは新入幕から8ヶ月で小結に。その後も三役に定着し続けました。1993年10月に大鵬親方の三女と結婚しました。
次第に金を借りてまでギャンブルをするように。少しの勝ちでは満足しなくなり、大勝ちばかりを夢見て賭けました。本業の相撲は負けこしが続き前頭まで転落。しかし、本人は借金を返すため相撲どころではなく、ついには知り合った高利貸しから金を借りるようになりました。
そんな貴闘力さんを救ってくれたのは、妻の父・大鵬親方でした。ギャンブルをやめるという約束のもと借金を肩代わりしてくれたのです。妻のため、大鵬親方のためにも相撲で恩返ししたいと誓った貴闘力さんはギャンブルを断ち稽古に取り組みました。
2000年3月、大相撲史上初の幕内最下位での優勝を果たしました。これで誰もか立ち直ると思いましたが、ギャンブル依存症の怖さはここからでした。
貴闘力さんは変装し、こっそりギャンブルをしに行ったり、休みをとって内緒で海外へ行ってギャンブルをしました。時間が許す限り、金が尽きるまでギャンブルをしました。結局、初優勝後は目立った成績も残せず2002年に引退。その後は大嶽親方となり大鵬の後継者の道へ。
親方となって若い力士たちを抱える立場となっても、ギャンブルをやめることはできませんでした。そんな貴闘力さんに悪魔の誘いが。近づいてきたのは先に引退していた元力士。野球賭博の話を持ち掛けてきたのです。
野球賭博に大嶽親方が関与したとマスコミに大々的に報じられ、ついには相撲界から追放され妻とも離婚することになりました。まさにギャンブルで人生を破滅させてしまったのです。
その後、周りの多くの助けもあり一から再起をかけ焼肉店をオープンさせました。自ら店に出て働き、店の経営は順調でした。しかし、ギャンブルへの衝動を抑えられずギャンブルで店の売上金と従業員の給料分も使ってしまいました。
現在、貴闘力さんはギャンブルの借金や店舗経営などの支払い、養育費など様々な支払いをし月6万円で生活していると言います。店の従業員たちと一緒に暮らしています。極力仕事を入れて忙しくすることでギャンブルができない生活を送っています。
その努力もあり今では和食、洋食、すし店と広げ11店舗の経営をしています。今もなおギャンブル依存の講演会に参加し闘い続けています。
「ザ!世界仰天ニュース」
やめられない依存症SP
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