論文を捏造した科学者ヤン・ヘンドリック・シェーン|ザ!世界仰天ニュース

日本テレビの「ザ!世界仰天ニュース」で若き天才科学者のねつ造について放送されました。2002年5月、世界の科学界は騒然となりました。世界屈指のベル研究所で前代未聞の論文ねつ造事件が明るみに出たのです。ネイチャーなど権威ある科学雑誌にも掲載されていた筆頭著者はヤン・ヘンドリック・シェーン。彼は電気抵抗をゼロにする超伝導の分野でいくつもの権威ある賞に輝いていた若き天才で、ノーベル賞受賞も時間の問題といわれていました。しかし、多くの専門家たちを欺いていたのです。しかも、その論文捏造は3年もの間バレなかったのです。

 

2000年7月、オーストリア・バートガスタインで行われた国際合成金属科学会議で世界的物理学者バートラム・バトログ博士の研究発表が注目を浴びました。バトログ博士の専門は超伝導。超伝導とは物質の電気抵抗がゼロになり電気が非常に流れやすくなる現象です。現在サハラ砂漠に太陽熱発電システムを作り、そこから電気をヨーロッパ全土に送るデザーテック・プロジェクトという計画がドイツを中心に行われています。各国が砂漠に注目するのは全砂漠が太陽から受ける6時間分のエネルギーが全世界が1年間に消費するエネルギーよりも大きいからです。そこで砂漠地帯からエネルギーを取り出しヨーロッパまで運ぶ長距離の送電方法が重要になっています。しかし現在の送電線では各国に電気が届くまでに抵抗により10%の電力が失われてしまいます。一方、超伝導の送電システムが実用化すれば電気を失わずに送ることが出来ます。サハラ砂漠の4分の1の面積で世界中の電力を賄う事ができるのです。しかし、まだ実現には至っていません。その最大の理由が超伝導を起こす温度。1911年に超伝導が発見された時の温度は-268度でした。その後、いかに室温に近い温度で超伝導を起こせるのかが人類のテーマとなりました。1991年に-240度を成功させたものの、これが限界とも言われていました。しかし、今回はその記録を更新する-221度。その偉大な実験に成功したのはバトログ博士ではなくヤン・ヘンドリック・シェーンでした。シェーンが行った超伝導実験はそれまでの常識を覆す方法でした。そして彼の論文は「ネイチャー」に掲載され若き天才は世界に名をとどろかせました。

 

ヤン・ヘンドリック・シェーンがベル研究所に入ったのは論文を出す2年前。彼はドイツで中堅クラスのコンスタンツ大学で博士号を取得。その大学の教授の一人にベル研究所の研究員がいました。その教授がバトログ博士に人手が足りないと相談を受けシェーンを推薦したのです。そしてヤン・ヘンドリック・シェーンは27歳で渡米しベル研究所で働き始め、わずか2年で偉大な実験に成功しました。論文発表から間もなく世界中の研究者が追試に乗り出しました。追試とは論文に基づいて、その実験・分析を第三者が行い真偽を確認する事。100以上の研究所や大学が追試にチャレンジしたものの、誰も追試に成功できませんでした。今回の発表で最も特徴的なことは有機物の表面に薄い酸化アルミの膜を付着させるというもの。これに上下左右から電圧をかけるとたまった電子が動き出し超伝導が起きると言います。しかし、他の研究所では酸化アルミの膜が破れてしまいうまくいきませんでした。この実験にはスパッタ装置という特殊なシステムが必要なため、多くの研究所がこの装置を導入。世界中の研究グループはこの追試に莫大な費用を投じました。追試にのぞんだ研究者たちが手がかりにしたのはヤン・ヘンドリック・シェーンの論文。しかし論文には「スパッタ装置を用いて酸化アルミの膜を有機物の上に付着させる」としか書いてありませんでした。この時点で疑いを持たれてもおかしくないはずですが、そこには捏造を見逃す科学界の信じられない常識がありました。

 

ヤン・ヘンドリック・シェーンが在籍するベル研究所はノーベル賞受賞者を11名も輩出している世界で最も有名な研究所の一つです。また世界的物理学者であるバトログ博士の名前が大きく影響し、なかなか疑う者が現れなかったのです。ところがベル研究所内でも多くの研究員が追試を行っていましたが、薄い酸化アルミの膜を付着させることが出来ませんでした。またバトログ博士はシェーンの実験に立ち会っておらず、実験のデータもチェックしていたもののシェーンの回答は納得できるもので実験結果を疑うことはなかったと言います。さらに「根拠なく人を疑うのはプロとしての自分を否定すること」という不文律が科学界にはありました。

 

なかなか追試に成功できない研究員たちがシェーンに実験のサンプルを見せて欲しいと言いました。シェーンは承諾したものの2週間経ってもサンプルを渡さず、サンプルは全てドイツにあると言い出しました。2ヶ月に1度はドイツに戻っていたシェーンですが、「忘れた」など様々な理由をつけ実験サンプルを持ってきませんでした。ついにはサンプルを「捨てた」と言い出しました。こんなに怪しいにも関わらず、世界中の研究所は超伝導は莫大な利益を生む宝の山であるため実験のコツを企業秘密にすることは当然と考えました。こうして誰からも疑問の声が上がる事なく2001年9月、「サイエンス」にヤン・ヘンドリック・シェーンの新たな論文が掲載されました。それは-156度で超伝導に成功したというもの。しかし、これにより余計に疑念を深めた研究者たちもいました。

 

前回シェーンが発表した実験方法は有機物の上に薄い酸化アルミの膜を付着させるというもの。これは今まで誰もやったことがなかったため、何度失敗しても自身の技量に問題があるからだと考えていました。しかし、今回シェーンが行った実験方法は有機物に別の物質を加え、それから酸化アルミをその上に載せるというもの。このやり方に長年取り組んできた研究員は大勢いました。ベル研究所のドン・モンローはシェーンに実験データを見せて欲しいと頼みました。データには細かく繰り返された実験の記録が綴られていましたが、モンローはおかしいことに気づきました。本来、測定した値には統計的なバラつきがあるものですが、シェーンが記した測定値にはバラつきが少なく、まるで理想の数値を当てはめた様だったのです。モンローはこのことを上司に告発。しかし、しっかりとした調査が行われることはなくヤン・ヘンドリック・シェーンは超一流の研究機関マックス・プランク固体物理学研究所の所長に就任しました。

 

しかし、彼の知らない場所で偽りのベールははがされようとしていました。プリンストン大学のリディア・ゾーンは何か手がかりはないかと彼の論文の隅々まで目を通していました。すると2つの異なる実験に関して書かれた論文のグラフが完全に一致することに気づいたのです。全く異なる実験が同じ結果になることはありえません。リディアはコーネル大学のポール・マキューエンに連絡。驚きの事実を知ったポールはシェーンが書いた他の論文も徹底的に調べました。すると、さらにもう一つ異なる実験にも関わらず同じグラフが使われていることを発見。これは決してミスなどではないと告発に踏み切りました。告発文はベル研究所だけでなく、他の研究機関、科学雑誌の編集部、バトログ博士、シェーン本人へ一斉にメールされました。ベル研究所はついに調査委員会を設立。外部から4名と内部からは以前告発を行ったドン・モンローが選ばれました。一方、この頃シェーンは変わらず研究所に通い、実験のサンプルをデビッド・ミュラー教授に渡しました。しかし、それは酸化アルミ膜の厚さが論文で主張していたものよりも10倍も厚いものでした。こんなものでは超伝導が起きるはずもありませんでした。実験の過程のデータも実験ノートもありませんでした。調査委員会はシェーンが出した論文に捏造があったと結論づけました。そして2002年9月25日、ベル研究所はシェーンの解雇を発表。シェーンは論文のグラフにミスがあったことは認めましたが一貫して捏造は否定。「実験結果は本物であり将来的に追試が成功される事も確信している」とコメントしました。その後、博士号の資格も剥奪され現在は母国ドイツに戻って生活しているそうです。