大ピラミッド建造の謎~4600年前の日誌は語る~|地球ドラマチック

NHK・Eテレの「地球ドラマチック」で大ピラミッド建造の謎~4600年前の日誌は語る~が放送されました。エジプトのギザの大ピラミッドは数あるピラミッドの中で最大のものです。高さ146m。約230万個の石からなるピラミッドはたった一人の王のために作られました。

 

2013年3月、エジプトのワディ・アル・ジェルフで何百にもおよぶパピルスの破片が見つかりました。そこには古代エジプトの象形文字がビッシリと書き込まれていました。書かれた文字も判読できました。考古学者たちのリーダーだったピエール・タレが破片の文字を解読したところ、約4600年前に書かれた日誌であることが分かりました。書いたのはメレルという男性です。日誌によるとメレルは石の運搬を担当した労働者たちのリーダーでした。そこには史上最大級の墓であるギザの大ピラミッド建造にまつわる出来事が書き込まれていました。ピラミッド建造に関する記録が見つかったのは、これが初めてのことです。機械はおろか鉄器すらなかった時代にどうやって巨大なピラミッドを築きあげたのか、古代の謎がメレルの日記によって解き明かされるかもしれません。

 

考古学者マーク・レーナーは長年に渡ってピラミッド周辺の発掘調査を行ってきました。そこにメレルの日誌から得られた情報を加えることで新たな事実が明らかになるはずだと考えています。

 

驚異の技術!

ピーター・ジェームズは古代建築の専門家ですが考古学者ではなく技術者です。ジェームズは半世紀にわたる知識と経験をいかし大ピラミッド建設の謎に光を当てたいと考えています。大ピラミッドは地面より高い位置にトンネルがある唯一のピラミッドです。複数の通路が繋がり王の遺体が葬られた中央の部屋に続いています。建造物としての規模は壮大で高さは50階建てのビルに相当します。底面積は約5万3000平方メートルです。ジェームズは建造に用いられた石の特徴を調査していきました。ピラミッドは一見単純な建造物に見えますが建てられた紀元前2560年頃においては最先端の技術でした。古代エジプトにはもともと泥のレンガで作った1階建ての建物しかありませんでした。しかし紀元前2650年頃にジェセル王によっていくつもの層を重ねた階段ピラミッドが初めて作られました。それからわずか100年程で大ピラミッドにまで発展したのです。それは大ピラミッドの建造が技術面でも労働者の組織化の面でも前例のない大事業だったことを示しています。当時の人口や技術力を考えれば、ありえないほどの大事業でした。ピラミッドの謎を解くためには、それを作らせた人物について知る必要があります。

 

クフ王の強大な権力

大ピラミッドは古代エジプトに君臨したクフ王の墓として作られたためクフ王のピラミッドとも呼ばれています。クフ王は国のあらゆる資源を自分の墓の建造につぎこんだ暴君であるというのがこれまでの定説でした。しかし、それは本当なのでしょうか?長年の調査にも関わらずクフ王の人間性を伝える記録はほとんど見つかっていません。小さな像が一つ発見されただけです。ギリシャの歴史家ヘロドトスがクフ王について書き記していますが、ヘロドトスはクフ王より2000年も後の人物です。ヘロドトスはクフ王を自分と自分の墓のことしか頭になく民の幸福など一切考えない暴君として描きました。ヘロドトスの描く歴史は正確な歴史というよりは物語です。歴史上の人物の性格はかなり誇張されています。ピラミッドを作るためにクフ王は自分の娘さえ売り飛ばしたとヘロドトスは書いています。そうした話を裏付ける証拠は何もありませんが、ヘロドトスによってクフ王のイメージは決定づけられてしまいました。発見されたメレルの日記もクフ王の権力が絶大なものであったことを示しています。メレルの全ての仕事はクフ王の名のもとに行われていました。日誌が発見された遺跡のいたるところにクフ王の印が刻まれていました。ピラミッド建造に対するクフ王の強い執念が感じられます。日誌が発見されたワディ・アル・ジェルフの港はギザから200km離れていますが、ピラミッド建造のためだけに作られた施設だと考えられています。

 

工具の材料は銅

ワディ・アル・ジェルフの港は少なくとも30年間、貴重な資源の入り口として利用されました。シナイ半島の鉱山で採掘された銅が紅海を渡って運ばれてきたのです。メレルの仕事の一つはシナイ半島から銅を運びピラミッド用の採石場に持っていくことだったとピエール・タレは考えています。全ての石は銅でできた工具を使い人の力で切り出されていました。しかし、銅の工具は柔らかく、すぐに使い物にならなくなるため絶えず新しい銅を補給する必要がありました。ピラミッド建造に不可欠な資源である銅は貴重な金属として厳重に管理されていました。銅製の工具を使って切り出された石は採石場からピラミッドの建造現場に運ばれました。

 

石の切り出しは重労働

日誌によるとメレルはギザの南12kmのところにあるトゥーラから石を運搬する作業にも携わっていました。今もトゥーラではクフ王の時代と同じく品質の良い石灰岩がとれます。ピラミッドの大部分にはギザの近くでとれる質の悪い石灰岩が使われていますが、外側の目立つ部分にはトゥーラでとれる質の良い石灰岩が使われています。しかし、それをギザまで運ぶのは簡単なことではありませんでした。何百人もの作業員が10時間交代で毎日石を切り出していました。大ピラミッドの表面を覆うには膨大な量の石灰岩が必要でした。

 

ギザに国際的な港?

次のステップは切り出した石の運搬です。重く巨大な石を運ぶことを可能にしたのはナイル川でした。メレルの日誌にはナイル川をどのように活用したかが書かれていました。しかしメレルが利用したルートを正確に辿ることは不可能です。4600年の間にナイル川の流れが大きく変わってしまったからです。メレルの日誌によればトゥーラからピラミッドのあるギザまで往復で3日かかりました。クフの港と呼ばれる場所で一泊したことが書かれています。積み荷の石を降ろすのに1日かかり、3日目にトゥーラに引き返しました。ピラミッドの建築資材を運ぶためにナイル川が利用されたことは以前から知られていますが、マーク・レーナーは海岸から160km近く離れたギザが当時最大の国際的な港として栄えていたと考えています。マーク・レーナーの説によればギザは港町として大いに栄え毎日何十隻もの船が出入りしていました。それが本当だとすれば船の乗組員たちの宿泊施設が存在したはずです。大ピラミッドから歩いて数分のところに労働者たちの街の遺跡があります。これによく似た建物がワディ・アル・ジェルフでも発掘されました。200km離れた場所にほとんど同じ作りの倉庫や宿泊施設があったということは古代のエジプトに一定の規格が存在したことを示しています。マーク・レーナーは大ピラミッドから数百mの場所で発見された穴を港の一部だと考えました。

クフ王は死後ミイラ化されたと考えられています。亡骸をピラミッドに運ぶ時には船が使われたことでしょう。ピラミッド建造の段階から多くの船がナイル川を行き来しました。

 

完成時は白かった!

メレルの日誌には大ピラミッドが完成に近づいた頃の作業が細かく記されています。メレルたちはピラミッドの表面を覆う上質な白い石灰岩を運んでいたことが分かりました。今はそのような石は見当たりません。盗まれたか他の建築物に流用されたのだと考えられています。完成した時のピラミッドが白い石灰岩で覆われていたとすれば今とはだいぶ違う姿をしていたはずです。完成したばかりの大ピラミッドは完璧な三角形で表面を真っ白な石灰岩で覆われエジプトの強い日差しをまばゆく反射していたことでしょう。しかしピラミッドは芸術作品ではありません。また単なる墓でもありません。

 

王の復活を願って

ピラミッドには王の亡骸を安置するだけでなく、その復活を助ける役目がありました。それはエジプトの人々すべてにとって重要な問題でした。王が復活しなければ国が混乱するからです。エジプトの人々はマートという神を信じていました。マートは宇宙のあるべき秩序を体現する存在です。太陽が輝き作物が育つ、そのような秩序を守るため王は死後、太陽神のもとに旅をしなくてはなりませんでした。王の遺体は内臓を取り除いて乾燥させミイラにします。死後も生前の姿をとどめるようにしたのは王が次の世でも同じ肉体を必用としたからです。ピラミッドによる王の復活は国家的な関心事でした。古代エジプトにおいて王は神のような存在であり多大な労力を捧げるのは当然だと誰もが多かれ少なかれ思っていました。だからこそ現代の目から見ればバカげているとすら思える膨大な労力と資材がピラミッドの建造につぎこまれたのです。

 

王が葬られた場所へ

今使われている内部への入り口は地上18mの高さにあり、かつては石で隠されていました。もともと王の亡骸は地下の部屋におかれる予定だったと考えられています。しかしその案は変更されました。完成したピラミッドには上り坂の先に高さ8.5mの回廊があり、亡骸をおさめる部屋に続いています。亡骸をおさめる部屋はピラミッドの中央部にありますが、その上にはさらに石が高さ100m以上にわたって積まれています。石は丁寧に仕上げられ完璧に組み合わされているため回廊の中は密閉状態になります。

 

内部の空間はほんのわずか!

ピラミッドが極めて変わった建造物である理由の一つは内部に存在する空間が全体の容積の0.1%にも満たないことです。まだ発見されていない部屋があるという学者もありますが、いずれにせよ99%以上が石で満たされていることは明らかです。ピラミッドの内部にほとんど空間がないという事実はピーター・ジェームズに大きな疑問を抱かせました。ピラミッドの建造に関するこれまでの説に代わる新たな説が必要になるような疑問です。

 

石の破片はどこに?

ピラミッドを完成させるために必要な石灰岩は約270万立方メートルだと考えられています。採石場からとられた石の量とほぼ同じですが、ピラミッドに使われているような四角い石を作るには捨てる部分が大量に出るはずです。ジェームズの計算によればピラミッドが全てこのような形と大きさの石で作られていた場合、採石場は3倍の大きさが必要です。また捨てられた石の破片がどこかにあるはずですが、その量はピラミッド自体の2倍以上にもなります。捨てられた破片はどこに消えたのでしょうか?大ピラミッドの中心部には表面と同じような石が積まれているとこれまで考えられてきました。しかしジェームズは四角く整えた石を使うのは外側だけにとどめ、内部は破片で満たす方が合理的であるという結論に至りました。分かりやすい説ですが研究者からは古代エジプト人の世界観に合わないという反論も出ています。確かにピラミッド建造が宗教的な行為であれば合理的な考え方は当てはまらないかもしれません。

大ピラミッドは20~30年で作られたという証拠が残っています。従来の説通り全てが四角い石で作られていた場合、必要な石の数は230万個。6分に1個の割合で26年以上にわたり休みなく石を積み上げていた計算になります。いくら勤勉に働いても無理のある話です。ピラミッドの内部には四角い石ではなく破片が詰まっているとすればいくつもの謎が解けるとジェームズは考えています。ジェームズの説は次のようなものです。

まず正確な正方形になるように四隅を作り枠となる壁を築き内部に破片をつめます。次に破片でできた内側のスロープを使って四角い石を運び上げ、さらに破片をつめては高さを増していく。これを繰り返し最後に表面を白い石灰岩で覆って完成です。

 

クフ王は紀元前2566年に亡くなったとされています。王の亡骸はナイル川を運ばれてギザに到着。亡骸をおさめたのち大ピラミッドは封印されました。ワディ・アル・ジェルフの港も役目を終え閉鎖されました。港の閉鎖が日誌を残したメレルの最後の仕事だった可能性があります。彼が書いた日誌は洞窟の中におさめられていて、その入り口は石灰岩で封印されていました。

古代エジプトの人々が叡智と情熱を注いで築き上げた大ピラミッド。その建造にまつわる謎は時を超えこれからも多くの人々を魅了し続けることでしょう。

TREASURES DECODED
THE GREAT PYRAMID
(イギリス/カナダ 2014年)




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

コメントは管理人の承認後に表示されますのでしばらくお待ち下さい。管理人からの返信はありませんのでご了承ください。