河野博文は今…玉ねぎ農家に転身&妻が急死シングルファーザーに|爆報!THEフライデー

巨人の中継ぎエースだった河野博文(こうのひろふみ)さんは、北京原人に似た風貌から「げんちゃん」と呼ばれファンから愛されました。私生活では大学生の時から交際していた広子さんと1991年に結婚。2人の娘に恵まれ幸せを手に入れました。

 

しかし、1999年に巨人から戦力外通告を受け、プロ野球の第一線から姿を消しました。

 

玉ねぎ農家に転身

現在53歳になった河野博文さんは、群馬県にある家賃5万円の2DKのマンションで暮らし、玉ねぎ農家に転身しています。実は巨人から戦力外通告を受けた後、独立リーグのコーチなどをして食いつないでいましたが彼を悲劇が襲いまいた。それは最愛の妻の死。2009年8月、広子さんが乳がんで他界したのです。

 

愛する妻も野球も奪われ失意のどん底にいた河野博文さん。思い出すのはプロ野球選手の妻として尽くしてくれた広子さんの姿でした。特に食生活ではバランスの良い食事を徹底してくれました。人一倍野菜にこだわっていた広子さんの思いが、悲しみにくれる河野博文さんに新たな一歩を踏み出させてくれました。

 

妻が愛した美味しい野菜を作りたいと群馬県で農業を開始。娘を呼び寄せ、シングルファーザーの生活が始まりました。

 

2年の修行のすえ、農家を営むのに必要な資格を取得。初期投資500万円をつぎこみ、農地を借りて玉ねぎ作りを開始しました。しかし、売れるところがありませんでした。

 

河野博文さんの作る玉ねぎは、有機にこだわるため価格も割高に。買い取ってくれるところがなかったのです。そのため、20トンもの玉ねぎを廃棄処分するはめに。赤字がかさみ、農業を諦めることを決意しました。

 

そんな時、長嶋茂雄監督から電話がかかってきました。「今度送ってよ。玉ねぎ大好きだから」という長嶋監督の何気ない一言で、「絶対に諦めてはいけない」という20年前のあの時を思い出しました。そして河野博文さんは農業をやめることなく玉ねぎ作りに没頭。すると、5年で河野博文さんの玉ねぎは大人気になりました。今では群馬県内のスーパーから注文が殺到する程になっています。

 

秘密は海藻類などの液体肥料。このミネラル豊富な液体肥料を採用し商品化。このおかげで次々と河野博文さんと契約する玉ねぎ農家が集まり、群馬で話題になっています。さらに、2015年からネギの生産も始め現在合計280トンも出荷。年商は4000万円にもなると言います。

 

また2015年8月に玉ねぎとねぎを使った「居酒屋げんちゃん」をオープン。自慢のメニューはオニオンスープを使った「げんちゃん鍋」です。今でも毎月、長嶋監督から玉ねぎの発注があるそうです。

 

娘たちも親元を離れ、社会人と大学生に成長しています。巨人から戦力外通告を受けた河野博文さんは今、新たなマウンドで再び勝負をしています。

 

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