サッカー・アメリカンサモア代表 ~FIFAランク最下位チームの奇跡~|アンビリバボー

ワールドカップといえば、これまで数々の名勝負が繰り広げられてきた世界最大のスポーツイベント。2011年、南太平洋に浮かぶ小島アメリカンサモアの代表チームもブラジルワールドカップ予選を目指し練習にあけくれる日々を送っていました。

彼らには他のどの国とも異なるある事情がありました。実はFIFA国際サッカー連盟に加入した1994年からこれまでの17年間、通算成績0勝30敗と一度も勝ったことがないのです。FIFAの発表する世界ランキングでも万年最下位。サッカーファンの間では世界最弱のチームとして有名なほどでした。

そんな彼らの名前が世界に知れ渡ってしまったのは13年前。日韓同時開催となったワールドカップの予選、強豪オーストラリアと対戦した時のことです。試合開始直後から約3分に1点という信じがたいペースで失点を重ねるアメリカンサモア代表。そして31対0という結果に。この記録は国際公式戦史上最大の得失点差記録として現在も破られていません。しかし、人口が少ないとはいえ、なぜここまで弱いのでしょうか?

アメリカンサモアという島は、厳密には国ではなくアメリカ合衆国の一部にあたります。そのため若者の多くは学校を卒業すると職の少ないこの島を出てアメリカ本土へと渡ってしまうのです。アメリカンサモアにプロのチームはなく、選手はおろか監督やコーチ全員がボランティアの素人。強くなりたくても専門的な練習方法すら分かっていませんでした。

しかし、W杯予選まであと1ヶ月とせまった2011年10月、彼らの監督を引き受けるという人物が現れました。トーマス・ロンゲンです。サッカー大国オランダ出身で現役時代はヨーロッパの名門クラブでプレー。引退後、数々のトップリーグで指導を経験した超一流のプロ監督です。正直、来てくれたのが不思議なほどの人材であり突然の後援にチーム関係者は大いに沸き立ちました。

しかし、トーマス・ロンゲンはこれまで彼らが行ってきた練習方法を頭ごなしに全否定。激しい口調で罵声を浴びせ続け、指示に従わない者には容赦なく補欠落ちを告げました。救世主となるはずだった一流監督は、逆にチームを空中分解の危機に陥らせていました。そもそもアメリカやヨーロッパで活躍していたプロの監督がなぜこんな辺境の島までやってきたのでしょうか?

チーム全体が不信感を募らせる中、その謎が明らかとなったのは数日後のことでした。トーマス・ロンゲンは18歳の娘を事故で亡くしていました。しかし、その悲しみからふさぎ込んでしまった彼を再び立ち直らせてくれたのも娘さんだったと言います。娘さんは生前口癖のように「この世に出来ないことなどない。全ては可能」と言っていました。

それを思い出した時、彼の人生のテーマが決まりました。

苦しい状況にあっている人たちと共に戦い、その言葉を証明してみせること

トーマス・ロンゲン監督は本気でアメリカンサモアのチームに勝利をもたらすつもりで来ていたのです。厳しい発言の数々は、全ては可能であることを彼らに知って欲しかったゆえのことでした。トーマス・ロンゲンは娘さんの話をチームのメンバーにしました。このことをきっかけに、彼らは本当のチームになりました。

そしてW杯予選のトンガとの試合で2対1で勝利。残念ながら彼らはその後の試合で破れ惜しくも二次ラウンド進出はなりませんでしたが、この快挙はニューヨークタイムスやイギリスBBCニュースなど世界各国で取り上げられました。こうして彼らのブラジルW杯は幕を閉じました。

「奇跡体験!アンビリバボー」
FIFAランク最下位チームの奇跡

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