ガリレオ・ガリレイの真の功績|137億年の物語

テレビ東京の「137億年の物語」でガリレオ・ガリレイについて放送されました。科学の父ガリレオ・ガリレイは1565年イタリアのピサで生まれました。父親は音楽家で音響学の研究をしていました。これが後にガリレオの研究に影響を与えたとも言われています。25歳で大学教授となり一生を科学に捧げたガリレイ。彼が過ごしたフィレンツェの街にはガリレオの功績をたたえ石像がたてられています。ガリレオが唱えた地動説はどのようにして打ち立てられたのでしょうか?

 

歴史上、人類は宇宙をどのように考えてきたのでしょうか。約400年前までは、ほとんどの人が地球を中心に全ての星々が回っていると考えていました。この考え方を天動説と言います。天動説は古代ローマの天文学者プトレマイオスが唱え1400年もの長い間信じられてきました。そこに現れたのが後に「コペルニクス的転回」という言葉のゆえんとなった人物ポーランドの天文学者コペルニクスです。コペルニクスは地球が他の惑星とともに太陽の周りを回っていると考えた方が惑星の動きなど無理なく説明できるという地動説を唱えました。コペルニクスは早くから地動説を完成させていましたが死の間際まで発表しませんでした。それはキリスト教に配慮した為だったと言われています。聖書では地球が宇宙の中心にあり天は神が創った変わらぬものだと教えていました。そのため地動説はキリスト教の教義に反し異端とされる可能性があったのです。異端者の烙印を押されると待っているのは最悪死です。そのため死ぬ間際まで発表しなかったのです。コペルニクスの地動説は一部の知識人の間では広がっていきましたが、一般の人々には全く浸透しませんでした。そこに登場したのがガリレオ・ガリレイ。ガリレオは若いうちからその才能を発揮し25歳でピサ大学の教授に、28歳でヴェネチアの大学の教鞭をとります。そこで地動説と出会いました。ガリレオも迫害を恐れ大学では天動説を教えていました。1600年、コペルニクスの地動説を擁護したジョルダーン・ブルーノが異端とされ火あぶりの刑に処されてしまいました。

 

ガリレオ・ガリレイは当時発明されたばかりだった望遠鏡を改良し独自に高性能の望遠鏡をつくりあげ、地動説を裏付ける新発見を次々としていきました。ガリレオは木星の周りを回る4つの衛星を発見。これは宇宙の中心が地球であるという天動説を完全に覆すものでした。彼はこの発見を2冊の本にまとめました。これは人々を驚かせガリレオ・ガリレイの名前はヨーロッパ中に響き渡りました。そしてガリレオは慎重にカトリック教会を敵にまわさないようにローマ教皇に会い科学的に説得。しかしカトリック教徒たちは地動説は聖書の精神に反すると言い出しました。ガリレオは異端審問にかけられ、今後聖書に反する地動説を支持してはならないと言われてしまいました。

 

世界中の多くの人がガリレオ・ガリレイが天体望遠鏡を宇宙に向けた最初の人だと思っていますが、実は正しくは分かりません。彼のすごいところは自分が見たものを全てきちんと書き残したことです。ガリレオが研究の全てを書き残したことで後の科学が飛躍的に発展しました。

 

1965年、ローマ教皇パウロ6世がガリレオ裁判に言及したことが発端となって見直しが始まりました。そして1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世はガリレオ裁判が誤りであったことを正式に認め、ガリレオに謝罪しました。ガリレオの晩年は決して幸せなものではありませんでした。ガリレオは異端審問で有罪となり軟禁状態のまま晩年を送りました。病気がちで視力も失いました。望遠鏡で太陽を見続けたせいだと言われています。ガリレオはそれでも科学への情熱を失わず口述筆記で本を書き続けました。ガリレオの「新科学対話」は後に弟子たちが発表し歴史的名著となりました。ガリレオは1642年、78歳でその生涯を終えました。彼の墓にはガリレオが発見した木星の4つの衛星が刻まれています。