モナ・リザ 永遠の微笑みの秘密|たけしの新・世界七不思議大百科

モナ・リザ」はレオナルド・ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」をミラノで描いた年に、フィレンツェにあるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の中にあった工房で描き始められました。その時、レオナルドは52歳、画家としての円熟期を迎えていました。

 

 

モナ・リザのモデルは誰?

「モナ・リザ」のモデルは、フィレンツェの富豪ジョコンドの妻リザ説、メディチ家ジュリアーノの愛人説、ミラノ公妃イザベラ・ダラゴナ説、レオナルドの母カテリーナ説など様々な説がとなえられてきました。しかし2005年、この論争に決着をつける決定的な証拠が見つかりました。

 

ドイツのハイデルベルグにある図書館で、余白に書き込みのある古書が発見されたのです。それはレオナルドと親交があったフィレンツェの役人が記したとされるもので、そこには「レオナルドがジョコンドの妻リザの肖像画に着手した」と書かれています。さらに1503年10月という日付まで書かれています。

 

このメモの日付がそれまでに判明していた「モナリザ」の制作時期と一致。「モナリザ」のモデルは従来の説の一つであるフィレンツェの富豪の妻リザであることに疑いはないとされたのです。さらに、2015年9月、イタリアの考古学チームがリザの骨を発掘したと発表しました。

 

リザの夫から注文を受け肖像画を描き始めたレオナルドですが、なぜか「モナ・リザ」を注文主には渡さず自ら保持し続け、生涯にわたり手を加え続けたと言います。これは当時の習慣からすると考えられないことです。なぜなら、中世の画家は基本的に教会や貴族からの注文を受け絵を描くもので、完成した絵は注文主に渡すのが当然だったからです。

 

フィレンツェ、ミラノとルネサンスの中心で活躍し名声を高めたレオナルドは、晩年フランスのアンボワーズへ渡りました。当時、ルネサンスの中心地であったイタリアに比べ、フランスは文化の発展が遅れていました。そのことを危惧したフランス王フランソワ1世が、イタリアで名声をはくしたレオナルドを呼んだのです。

 

イタリアを離れる時、レオナルドは数点の絵を大切に運びこみました。その中にはもちろん「モナ・リザ」もあったと言います。1519年、レオナルドは亡くなりました。フランソワ1世の腕の中で息を引き取ったという伝説もあるほど、手厚い待遇を受け迎えた最期でした。

 

その死にさいしてレオナルドは遺言状を残しています。遺言状には葬儀や埋葬先の希望とともに、土地・建物・衣服・画材道具・肖像画など全ての財産の譲渡先が事細かに記されていました。しかし、なぜか「モナ・リザ」に関しての記述は一切ありませんでした。一体「モナ・リザ」はどこに消えてしまったのでしょうか?

 

レオナルド最愛の弟子の正体

実はレオナルドは「モナ・リザ」を弟子サライのために手放していました。サライは、金髪で巻き毛の美少年だったと言われています。レオナルドの愛人だったという説も存在するほど、レオナルドにとっては特別な人物でした。

 

サライは、レオナルドから貰った「モナ・リザ」を売ると莫大な金を手にイタリアに戻り、その後は裕福な人生を送ったと言われています。

 

しかし、サライの本当の名前はジャコモで、サライとは「悪魔」を意味する名前です。天涯孤独だったジャコモをレオナルドが拾ったのです。しかし、そのあまりの素行の悪さに悪魔という意味である「サライ」というあだ名をつけました。

 

レオナルドはなぜ素行の悪いサライに惹かれたのでしょうか?

 

悲しき生い立ち

レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年4月15日に生まれました。父の仕事は公証人で、母はその家に雇われていた農家の娘でレオナルドは私生児として生まれました。当時、公証人の組合には婚外子は父の仕事を継げないという厳しい決まりがあり、レオナルドは父の仕事を継ぎたくても継ぐことができませんでした。

 

父親が別の女性と結婚すると、レオナルドは初等教育を受けていた学校から職業訓練校に転校させられました。そのせいで、当時キリスト教世界の公用語だったラテン語を学べず、このことがレオナルドの生涯のコンプレックスになったと言われています。

 

レオナルドもサライと同じように孤独な少年時代を過ごしていたのです。そして、レオナルドが悪魔と呼んだサライ同様、レオナルドの中にも悪魔のような一面がありました。

 

レオナルドは人の姿を正確に描くために正確な人体の構図を知る必要があると考え、人体を解剖し絵を描いていました。レオナルドは妊婦の死体を解剖し絵を描いてもいました。レオナルドは天才でしたが周囲には理解されていませんでした。

 

美しいものだけでなくグロテスクなものにも興味を持ったレオナルドは、首を吊られた死刑囚すらも科学の目で観察し、その絵を残しています。

 

レオナルドがサライをそばに置いたのは、美しさだけでなく人間の持つ醜さをも客観的に観察するためだったのかもしれません。

 

「古代文明ミステリー たけしの新・世界七不思議大百科 第3巻」

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