ロシア西部に位置するウラル山脈は、未開の原生林が広がる人もほとんど住むことがない極寒の地です。そんな山奥に1959年1月、ウラル工科大の学生9人が雪山登山に出発しました。
しかし数週間後、全員遺体で発見されたのです。気温-30℃にも関わらず、遺体のほとんどが裸足で下着姿の者もいました。防寒着やブーツはなぜかテントの中に残されたまま。
奇妙なことに頭蓋骨や肋骨を砕かれた者や舌を抜かれた者までいました。彼らの多くはまるで何かから逃れるように後ろを向いて死んでいました。どう考えてもただの遭難事故ではありません。
しかし、当時のソ連政府は4週間で捜査を打ち切り、真相は闇の中へ。一体彼らに何が起こったのでしょうか?
この事件は「ディアトロフ峠事件」と呼ばれ、ロシアではJFK暗殺事件と並ぶミステリーとして様々な陰謀説が議論されてきました。
遺体となって発見されたのは同じ大学で知り合った9人の仲間たち。そのうち女性は2人。グループを束ねていたのはリーダーのイーゴリ・ディアトロフ(当時23歳)です。
彼らの計画はウラル山脈北部ホラート・シャフイル山までのスノートレッキング、そこから折り返し往復100キロの行程を14日間で行うというものでした。しかし、折り返し地点の手前10kmで事故が起きてしまいました。
9人はなぜ死んだのか
雪崩説
まず最初に考えられたのが雪崩説。突然雪崩が発生し着の身着のままテントの外へ飛び出したというもの。しかし、遺体の奇妙な傷から雪崩とは考えにくいものでした。
軍の秘密兵器実験説
実はこの登山に参加した者の中に一人だけ生き残った者がいました。それがユーリ・ユーディーン。彼は急病を患ったため途中で引き返していたのです。2013年に亡くなりましたが彼は生前事件について奇妙な証言をしていました。
捜索隊に頼まれ仲間の遺品を確認していたとき軍が使うブーツカバーを見つけた
それは軍にしか支給されない特殊なもの。もしかすると捜索隊が到着する前に軍が現場にいたのでしょうか?いたとすればそこで何をしていたのでしょうか?またこの近辺でミサイル実験が行われていたとの情報も。軍の機密に触れ殺されてしまったのでしょうか?
マンシ族による襲撃説
そんな中、極めて有力視された説がマンシ族による襲撃説です。マンシ族とは大昔からウラル山脈に住む狩猟民族。非常に閉鎖的で縄張り意識が強いと言われ、以前村に侵入した地質学者を殺害したとも言われています。
実際、亡くなった学生が残した日記に「地元の部族と激しい争いがあった」との記述があります。しかし、秘密警察KGBが取り調べ殺害の証拠は発見されなかったと言います。むしろ彼らは学生たちに「ここから先には決して入るな」と警告していたのです。メンクがいるからです。
メンクとはウラル地方の呼び名で、ロシア全土では一般的にイエティと呼ばれています。イエティはロシアではニュースで何度も報道されるほど目撃談が相次いでいます。
国家公文書館に残された捜査資料は50年以上機密とされていました。学生の一人が書き残したメモには「雪男は存在する」と書かれていました。さらに、遺品の写真には森の中にいる人影が写っています。
「世界まる見え!テレビ特捜部」
ディアトロフ峠事件
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