ミンスミート作戦「ヒトラーをだませ!イギリスの珍作戦」|世界まる見え!

第二次世界大戦中、イギリスがドイツを欺くためにウソのようなトリックを使った作戦を実行しました。

 

1943年、ロンドンの倉庫の片隅で1人の男が自殺しました。貧しさでどうにもならなくなった末の死でした。しかし、人知れず孤独な死をとげた男は突然表舞台に引っ張り出されることに。第二次大戦の勝敗を左右した作戦の主役となったのです。それが世にも奇妙な作戦「ミンスミート作戦」です。

 

アドルフ・ヒトラー

 

ヒトラー率いるナチスドイツはイタリアと同盟。1943年当時、ヨーロッパの大部分を事実上支配していました。そんなドイツに対抗するためイギリス、アメリカの連合軍が考えたのが敵の同盟国であるイタリアのシチリア島への侵攻。シチリア島は地中海の交通の拠点です。さらに、イタリア本土に侵攻するため強力な足がかりともなります。

 

しかし、シチリア島が狙われていることはドイツ軍も分かっていました。シチリア島は数万人ものドイツ兵と数十万人のイタリア兵が守っていました。そこへ攻め入っても大苦戦は間違いありませんでした。

 

そこでイギリスの情報部がドイツ軍を騙そうと考えました。攻撃しようとしているのはシチリア島ではなく、当時ドイツの支配下にあったギリシャだとドイツ軍に思わせようとしたのです。そうすればドイツ兵の多くはギリシャへと移動。その隙にシチリア島に攻め入ることができます。

 

イギリス珍アイディア

その任務にあたったのが空軍大尉のチャールズ・チャムリーと海軍少佐のユーエン・モンタギュー。2人は情報部の棚に眠っていたある変わったアイディアを実行しようと考えました。

 

死体にイギリス軍の軍服を着せ「シチリア島ではなくギリシャを攻める」という偽の作戦書類を持たせ、その死体をどこかの海岸に漂着させる。死体をドイツ軍が見つけ、ヒトラーが偽の作戦を信じればシチリア島からギリシャへ軍隊を移動させるに違いない。

 

このアイディアを提出していたのは、情報部で働いていた若き日のイアン・フレミングでした。「007」シリーズの作者です。

 

死体が見つからない…

しかし、いきなり問題発生。ぴったりの死体が見つからなかったのです。必要な死体の条件は…

 

  • 溺れて死んだといってもおかしくない状態
  • 作戦に使用しても遺族から苦情が出ないこと

 

戦時中とはいえそんな死体はなかなか見つかりませんでした。

 

作戦にぴったりの死体

そんな時、ロンドンのさびれた倉庫の中で1人の男性が息を引き取りました。グリンドゥール・マイケル(34歳)です。

 

マイケルは田舎からロンドンに出てきたものの仕事を見つけることが出来ず失意の中死んだと言います。すでに両親を亡くし、身寄りもありませんでした。彼は作戦に必要な条件を全て備えていました。

 

作戦開始

死体安置所から連絡をうけたチャムリーとミンタギューは、マイケルをイギリス軍将校に仕立て上げることに。そしてドイツ軍に偽の将校だとバレないよう人物像を作っていきました。

 

2人はマイケルにウィリアム・マーティンという新しい名前を用意。イギリス海兵隊の少佐で、重要な作戦が書かれた機密書類を託される有能な軍人ということに。マーティン少佐に持たせる身分証明書用の写真を撮影したものの、何回撮っても死人にしか見えませんでした。そこでモンタギューはマーティン少佐に似ている人を探し回り、そっくりな男性を見つけ写真を撮らせてもらいました。

 

さらに、マーティン少佐の人物像をより具体的にするため、銀行に借金の督促状を書いてもらい遺体に持たせることにしました。また買い物のレシートやバスの乗車券なども持たせ生活感を演出

 

2人はマーティン少佐に恋人の写真を持たせることにしました。そこで密かに関係各所から女性たちの写真を集め美人コンテストを開きました。そして選ばれたのが陸軍の秘書だったジーン・レズリーの写真。2人の悪ノリはさらにエスカレートし、彼女にパムという名前をつけマーティン少佐にパムからのラブレターを持たせたのです。

 

こうしてマーティン少佐の人物像が完成しました。

 

あとはマーティン少佐をどこに漂着させるかでした。2人が選んだのは中立国スペインの沿岸。当時のスペインは軍事政府で中立国と言いながらも軍や政府にドイツに親しい関係者が多く、ドイツ軍のスパイも数多く潜伏していました。彼らが偽文書の情報を知ればきっとヒトラーに伝わると考えたのです。

 

1943年4月30日の明け方、マーティン少佐はスペイン南岸から海へ。ニセ書類を入れたブリーフケースは防犯用のチェーンで体につなぎました。

 

数時間後、マーティン少佐の遺体は地元漁師に引き上げられました。そして医師たちによって検死が行われ、死因は溺死と診断。ブリーフケースは中を開けられることなくスペイン軍に預けられました。

 

しかし、ナチスドイツにあっさり情報を流すと考えられていたスペイン軍がなぜかこの時に限ってブリーフケースをそのままイギリスに返そうとしたのです。そうなれば作戦は大失敗です。

 

ところが、ここでドイツの大物スパイが動き始めました。カール=エーリヒ・キューレンタールです。彼はあらゆるつてを駆使してブリーフケースの中のニセ機密文書を手に入れました。そして、その内容を全く疑いもせず信じたのです。

 

実はキューレンタールの祖母はユダヤ人で、手柄を上げ続けなければ一族もろとも収容所送りになりかねなかったのです。そのため、彼は連合軍が実はギリシャを狙っているという大嘘に飛びついてしまったのです。キューレンタールはニセ機密文書の写真をドイツ本国に送りました。

 

作戦成功

1943年5月、イギリスの暗号解読班はドイツ軍の通信を傍受。そこではドイツ軍の司令官たちに連合軍のギリシャ攻撃に備えて移動せよという命令が出されていました。ヒトラーは完全に騙されたのです。シチリア島防衛のために待機していた部隊をギリシャへと送りました。

 

1943年7月10日、連合軍はシチリア侵攻を開始。手薄になっていたシチリア島はわずか1ヶ月程で陥落。これをきっかけにドイツ軍は各地で不利な状況に追い込まれていきました。

 

「世界まる見え!テレビ特捜部」
死体を使ってヒトラーをダマす!?世にも奇妙な作戦

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