作家 山崎豊子 ~戦争と人間を見つめて~|NHKスペシャル

NHK総合テレビの「NHKスペシャル」で作家 山崎豊子 ~戦争と人間を見つめて~が放送されました。山崎豊子さんは国家や巨大組織の闇を鋭く切り取る大作で多くの人々を魅了してきました。「白い巨塔」「不毛地帯」「大地の子」「二つの祖国」「沈まぬ太陽」など時代を越えて映像化されてきた作品に描かれたのは日本を代表する俳優たちをもうならせる男の生き様でした。生前「作品がすべて」と語っていた山崎豊子さんは数々の大作をどのように生み出していったのでしょうか。

 

新聞記者だった山崎豊子さんが作家としてデビューしたのは1957年、33歳の時でした。山崎豊子さんは実在の事件や人物をモデルにタブーをおそれぬ大作を次々と発表。他の作家とは異なる存在感を発揮していきました。スケールの大きな作品はどのように作られていたのでしょうか。そこには編集者たちに鬼とまで恐れられていた徹底した取材がありました。政官財あらゆる世界をリアリティ豊かに描写。1作品あたり200人を超える人物を直接取材し物語りをつむいでいたと言います。その山崎豊子さんが死ぬまでこだわり続けたのが戦争、そして戦後の日本人の生き様を描くことでした。初めて本格的に取り組んだ作品が「不毛地帯」です。「不毛地帯」は元大本営参謀でシベリアに抑留された経歴を持つ壱岐正が主人公です。日本を破滅に導いたという悔いから壱岐は商社マンとして平和的な手段で国益を追求。その一方で山崎豊子さんは壱岐を戦後の豊かさの中で戦争責任を自らに問い続ける男として描きました。壱岐正は実在の元大本営参謀がモデルだと言われてきました。太平洋戦争で陸軍の主要な軍事作戦をになった瀬島龍三さんです。戦後はシベリアに抑留されました。山崎豊子さんが瀬島龍三さんへの取材を始めたのは1973年。当時、伊藤忠商事の副社長をつとめていました。終戦から30年余り、時代は高度経済成長期のピークをむかえ多くの日本人が豊かさに目を奪われていました。太平洋戦争を遂行した元大本営参謀がどのような思いで大手商社の中枢にいるのか山崎豊子さんは強い関心を持ったと言います。100時間に及んだ取材テープがありますが、瀬島龍三さんは太平洋戦争初期の作戦の成功は語るものの、自らの戦争責任については語りませんでした。シベリアでの抑留についても自らがどのような役割を果たしたのか言及しませんでした。瀬島龍三さんが最も雄弁に語っていたのは自分たちが日本に繁栄をもたらしているという自負でした。過去を封印し現在の功績を語ったのです。

 

山崎豊子さんが壱岐正を作り上げるために取材した多くの元将兵たちの中でも特に心酔していたのが元関東軍参謀の竹原潔さんです。竹原潔さんはシベリアで最も過酷といわれた流刑地に赴くことに。部下たちを守るために、より厳しい労働を引き受け「生き抜け」と周囲を励まし続けたと言います。11年に及んだ竹原潔さんの抑留。帰国後、弟が経営する建設会社で一作業員として働きました。そして郷里の岡山に残した妻子のもとを離れ、会社の屋上の粗末なプレハブ小屋で一人暮らしました。竹原潔さんは「シベリアに仲間を残してきた自分はまともな家で眠ってはならない人間だ」と語っていたと言います。山崎豊子さんは繁栄の中で一人自らの責任と向き合う姿に打たれました。

 

大阪で生まれ育った山崎豊子さんは中央と距離を置きたいと、この街で小説を書くことにこだわり続けました。戦時中、学業の機会を奪われ軍需工場に動員された山崎豊子さんは終戦の年には新聞社で働いていました。日本の勝利を疑わないどこにでもいる若者でした。当時、彼女には思いをよせる人がいました。しかし男性は召集され戦地へ行き、二度と会うことはありませんでした。山崎豊子さんはそのことを生涯忘れることはなかったと言います。

 

海外でも作品が翻訳され、その名を知られるようになっていた山崎豊子さんは北京の出版社から中国を舞台に小説を書いて欲しいと依頼されました。その過程で胡耀邦総書記との面会が実現しました。胡耀邦の全面的協力を得て進めた中国での取材。山崎豊子さんが書き上げたのは中国残留孤児を主人公にした「大地の子」でした。中国の養父母に救われた少年・陸一心は大切に育てられました。しかし日本人という出自のために文化大革命で処罰されるなど戦後も苦難の道を歩み続けます。山崎豊子さんが取材を続けていた1980年代、日本政府は残留孤児の肉親を探すための調査や帰国のための支援を進めていました。社会の関心が日本の両親との再会に集中する中、山崎豊子さんの眼差しは中国に向けられていました。孤児を育てた養父母たちの人生に目を向けていたのです。

 

2001年、山崎豊子さんは取材のために沖縄に通い始めました。そして現地の人々の声に耳を傾けました。同じ頃、国家権力と対峙し社会的な生命を失った元新聞記者の西山太吉さんと出会いました。西山さんは1971年、沖縄返還をめぐる機密文書を入手。機密文書には沖縄の基地返還の費用負担をめぐる日本とアメリカの密約が記されていました。しかし情報源が外務省の女性事務官だったことが明らかになり、西山さんは国家公務員をそそのかした罪で逮捕されました。一方で国が密約の存在を認めないまま沖縄は返還されました。10年をかけて書き上げた「運命の人」の主人公は傷つきながらも使命を全うしようとする男でした。

 

戦争や戦後の日本を見つめ作品に命を刻み込むように自らの理想を託し続けた作家・山崎豊子さん。山崎豊子さんが今生きていれば私たちに何を問いかけるのでしょうか。


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