老衰死 穏やかな最期を迎えるには|NHKスペシャル

東京・世田谷区にある特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の石飛幸三医師は、これまで200人近くの入居者を看取ってきました。施設では本人や家族の意思にそって、点滴や胃ろうなどの延命治療は行わないことにしています。

 

老衰死とは病気が全くないことを指すわけではありません。病気を抱えていても、それが直接の死因とならず、老いによって亡くなる自然な死のことを言います。

 

戦後、一貫して減り続けてきた老衰死の数は高齢者人口の増加と共に10年前から急増。2014年は初めて7万人を超え過去最高となりました。

 

 

石飛さんはかつて日本有数の外科医でした。命を長らえさせることを何より優先し、徹底した治療を行ってきました。しかし、多くの高齢者と向き合う中で医療の力では抗えない死の存在を感じるようになりました。老衰です。老いに逆らうことなく自然の摂理を受け入れるという施設での取り組みは、今年で10年目を迎えました。

 

石飛さんは老衰にはある共通した特徴があると言います。「食べる」という機能の変化です。中村イトさん(93歳)は施設に入って3年ですが、最近食事の量が減ってきました。通常の食事から介護用のプリンにメニューを変更。それでも食べはじめて5分もすると、口に入れたプリンをなかなか飲み込めなくなります。食事の途中でも眠ってしまうようになりました。

 

石飛さんはこうした時、無理に食べさせることはしません。老衰が進んだ時に見られる傾向で、本人も空腹を感じていないと考えているからです。入居者のほとんどは、亡くなる1週間前から食事を摂らなくなります。

 

国内の介護保険施設では、食事が寿命に及ぼす影響を調べる大掛かりな研究が行われています。調査を行った東京有明医療大学の川上嘉明さんが6年分のデータを解析したところ知られざる老衰の一面が見えてきました。

 

死が近づくと大きくカロリーの摂取量が減る傾向は芦花ホームで確認された状況とも一致。川上さんが注目したのはその前の時期です。数年間に渡って一定量の摂取カロリーが保たれているにも関わらず、BMIは減り続けていたことが分かったのです。

 

ジョンズホプキンス大学のニール・フェダーコ教授は、老衰のメカニズムを研究しています。フェダーコさんは老化によって体の中で起きるある変化が関係していると指摘しています。それは細胞の減少。細胞の数が減ることで、様々な臓器の萎縮が引き起こされます。食べたものを消化吸収する小腸には栄養素を体内に取り込むため絨毛がひしめきあっています。細胞の減少によって絨毛やその周りの筋肉が萎縮すると栄養素をうまく吸収することが出来なくなります。まさに食べたものが身にならない状態になっていくのです。

 

フェダーコ教授は細胞が老化した時に起きるある現象に着目しています。若い細胞は活発に細胞分裂を繰り返しますが、老化が進むと分裂をやめ細胞の形が崩れていきます。この時、老化した細胞の中では炎症性サイトカインが大量に作られます。これらの物質が老化細胞の外に分泌されると周囲の細胞も老化が促され、慢性的な炎症状態に陥ることが近年明らかになりました。慢性的な炎症は体の様々な機能を低下させる可能性が指摘されています。

 

例えば筋肉の炎症は運動機能を衰えさせ、体重の減少を引き起こします。死が近づくと呼吸が弱くなるのは肺を動かす筋肉が機能しなくなることが要因だとされています。脳細胞の炎症は眠る時間が多くなるなど意識レベルの低下に繋がることが確認されています。炎症によって機能が低下した臓器が互いに影響し合い少しずつ生命の維持を困難にしていく状態は「インフラメイジング」と呼ばれ、老いによる死の謎を解く上で重要なテーマとなっています。

 

老衰の研究が進むことで、終末期の延命治療のあり方にも変革が起きています。アメリカ老年医学会では、重度認知症の高齢者には経管栄養は適切ではないと表明。胃ろうなどの経管栄養の有効性を調べた世界各国の研究では、生存期間の延長や栄養状態の改善、肺炎や感染症の予防などいずれにおいても効果がないことが示されたからです。

 

死がせまった時、人は痛みや苦しみを感じているのでしょうか。エディンバラ大学のアラスダー・マクルーリッチ教授は死が迫った高齢者の体内を調べることは倫理的に難しくメカニズムの解明には至っていないと指摘します。しかし、患者の状態をつぶさに観察することで苦痛を感じているかどうか確かめることが出来ると言います。その中でもオランダで行われた研究が世界中の注目を集めました。

 

調査の対象は平均年齢85歳。経管栄養などを行わないと決めた178人です。呼吸の様子や声の調子、表情や筋肉の緊張などから痛みや不快感をどの程度感じているか測定し亡くなるまで記録しました。

 

その結果、生存期間が2日以内、5日以内、9日以内、いずれのグループでも死が近づくにつれて不快感が下がっていく傾向が見られ、長期間生存したグループでも不快感が低い状態が最期まで保たれていることが分かりました。マグルーリッチさんは、死が迫った高齢者の脳は炎症や萎縮を起こし機能が低下しているため、苦痛を感じることはなくなっていると考えています。

 

「NHKスペシャル」
老衰死 穏やかな最期を迎えるには

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