大豊泰昭は今…「妻の突然死・白血病・借金」|爆報!THEフライデー

大豊泰昭(たいほうやすあき)さんは、日本プロ野球界で活躍した台湾出身のホームランバッターです。日本で大活躍した王貞治(おうさだはる)さんに憧れ1989年、中日ドラゴンズへ入団。背番号の55番は当時、王貞治さんが持っていたシーズン最多本塁打記録55本からつけました。

そんな大豊泰昭さんは、王貞治さんと同じ一本足打法を武器に1994年にはホームラン王に輝き年俸1億6000万円に。体重100kgを超える巨体でくり出す豪快なスイングでファンを魅了。名実ともに球界を代表するスタープレイヤーとなりました。

プライベートでは1990年に女優・古荘弘子(ふるそうひろこ)さんと結婚。2人の子供にも恵まれ公私共に順風満帆な生活を送っていました。そして2002年に現役を引退しプロ野球界から姿を消しました。

引退後

引退から2年後の2004年、大豊泰昭さんは名古屋市中区錦に中華料理店「大豊飯店」をオープンさせました。元ホームラン王・大豊泰昭さんのお店とあって連日多くのファンが訪れ大盛況。第二の人生を順調に歩み始めました。

しかし、わずか3年後、彼を悲劇が襲いました。妻の弘子さんが心筋梗塞を発症し亡くなってしまったのです。大豊泰昭さんは43歳で二人の娘を抱えるシングルファーザーに。慣れない家事を懸命にこなし、妻の亡きあと1人で娘たちを育てました。そして2人の娘も独立し立派な社会人に。

白血病を発症

しかし、そんな大豊泰昭さんを再び悲劇が襲いました。急性骨髄性白血病を発症してしまったのです。

急性骨髄性白血病

血液の元となる造血幹細胞ががん化し増殖することで正常な血液が造られなくなる病。5年生存率は2~3割と言われている。

大豊泰昭さんは緊急入院。残された道は骨髄移植でした。幸い大豊泰昭さんは台湾に住む妹の型が一致。移植は無事に成功し退院することが出来ました。

しかし、これで完治ではありませんでした。GVHDという白血病治療の後遺症が出てしまったのです。移植したドナーの細胞が患者の臓器や皮膚を異物と認識し攻撃してしまう免疫反応です。

さらに「大豊飯店」が閉店。大豊泰昭さんが入院し店に出られなくなったことで客足が激減。閉店せざるおえなかったのです。お店の閉店と多額の治療費で現役時代の貯金はあっという間に底をつき、多額の借金を抱えました。

人生のどん底に落ちた彼ですが、2011年に知人の協力もあり岐阜県海津市に「大豊ちゃん」をオープンさせました。白血病治療の後遺症と闘いながらお店で厨房に立っています。そんな大豊泰昭さんには今、支えになっている一人の女性がいます。

2012年に大豊泰昭さんと再婚した百合子さんです。彼女はもともと名古屋の「大豊飯店」の常連客で、闘病中の孤独な大豊泰昭さんを支え続けてくれました。百合子さんは勤めていた会社を辞め、大豊泰昭さんを支えるために見ず知らずの土地に移り住み、毎日お店に出て彼を支えています。

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