日本人成立の謎 弥生人のDNA分析から意外な事実が判明|サイエンスZERO

遥か昔、日本列島に暮らしていた弥生人。私たちの祖先にあたりますが、一体どんな人たちだったのでしょうか?

最大規模!弥生人のDNA分析

鳥取県にある青谷上寺地遺跡は、20年前に道路工事のさいに偶然発見され大きな注目を集めました。研究者たちを驚かせたのは弥生人の脳です。日本最古の人の脳が3つも見つかったのです。

DNA分析のリーダーは国立科学博物館の篠田謙一さん。古代人のDNA研究の第一人者です。

篠田さんが注目するのは、弥生時代の地層から発掘された人骨。青谷上寺地遺跡では、弥生人の骨が100体以上見つかっています。

弥生人の持っていたDNAは私たちに非常に多く入っている。弥生人のDNA分析をやっていくことで、我々との関係をもっと詳しく知っていこうと。

(国立科学博物館の篠田謙一さん)

水田稲作が伝わったことで始まったとされる弥生時代。紀元前10世紀頃~3世紀頃まで、1200年続いたとされています。日本人の成立にとってとても重要な時代でした。

元々、日本列島には縄文人が暮らしていましたが、弥生時代になると九州北部に大陸から渡来人がやってきました。この時代に日本列島にいた人たちのことを「弥生人」と言います。

九州北部に上陸した渡来系の人たちが東に広がっていく過程で縄文系の人たちと交わり、現代日本人が成立したと考えられていました。そのプロセスを科学的に解明するため、37体の弥生人の骨でDNAを分析することになりました。

DNAは細胞内の核とミトコンドリアの中に存在しています。篠田さんたちはまず、数が多く分析しやすいミトコンドリアDNAを調べることにしました。ミトコンドリアDNAは母から子へと受け継がれる遺伝子。母系の祖先がいつ、どこで生まれたのかルーツを辿ることができます。

当初、篠田さんがたてた予測は、九州北部に渡来した人たちが山陰に来るまでは縄文系の人と交わりが進んでいたはずです。そのため、渡来系と縄文系の割合は7:3くらいになると考えていました。

しかし、分析の結果は篠田さんの予想とは大きく違っていました。母系のルーツが明らかになったのは32体。そのうち縄文系は1体だけで、他は全て大陸にルーツを持つ渡来系でした。

このことから、大陸から直接青谷に渡来していた人たちがいた可能性が浮かび上がってきたのです。

弥生の社会のあり方というのは、まだ実際のことはほとんど分かっていないので、一体何なんだろうなっていうのは考え直さないといけないところなんですけど。

(国立科学博物館 篠田謙一さん)

弥生人の意外なルーツ

そして、渡来人たちのルーツも分かってきました。シベリアや中央アジア、中国、朝鮮半島、東南アジアなど実に多彩だったのです。

渡来系集団はいつ来たのか?

青谷上寺地遺跡は、弥生時代前期から古墳時代にかけて約800年続いた遺跡です。骨よりも古い時代の地層からは、縄文系の土器が複数見つかっています。このことから、縄文系の人がこの場所に集落を作り暮らし続けてきたと考えられてきました。

しかし、DNA分析の結果はほとんどが渡来系。どこかの時点で住民が入れ替わっていた可能性が出てきたのです。その時期はいつなのでしょうか?

用いられたのは放射性炭素年代測定法です。分析の結果、青谷の骨は2世紀代のものだと確認されました。つまり、渡来系の人たちは大陸から2世紀代にまとまって青谷にやってきた可能性が浮かび上がってきたのです。

殺傷人骨の謎 解明に期待

青谷上寺地遺跡には、解明されていない謎も残されています。男性の腰の骨に刺さっているのは矢じりです。他にも武器によって傷つけられた骨が複数見つかっているのです。2世紀の青谷で何があったのでしょうか?

核DNAが解く日本人の成り立ち

弥生人として最も核DNAの研究が進む女性は、15年前に福岡県の安徳台遺跡で男性の骨と一緒に発見されました。大陸からもたらされた鉄剣やガラス製品などと一緒に埋葬されていたことから、この地を治めていた一族と考えられています。骨の形などからも渡来系の弥生人と考えられてきました。

しかし、篠田さんたちが核DNAを調べたところ、それを覆す事実が明らかになりました。この女性は渡来系の遺伝子だけでなく、縄文系の遺伝子も併せ持っていたのです。

一般的に渡来系の人ということになれば、朝鮮半島であるとか中国であるとかそういう人たちと同じ遺伝子を持っているんだろうと考えていたんですね。典型的な渡来人というのが実はかなり縄文と混血しているという話になりますので、かなり意外な結果になりました。

(国立科学博物館 篠田謙一さん)

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日本人成立の謎 弥生人のDNA分析から意外な事実が判明

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