大航海時代 香辛料で巨万の富を得たポルトガル人|137億年の物語

ヨーロッパが競って海外へ乗り出した大航海時代。当時、巨万の富を築いた国がポルトガルです。エンリケ航海王子は、大航海時代の始まりを築いた人物です。航海士学校を開きポルトガルから多くの船を未開の海へと送り出しました。

しかし、エンリケ航海王子自体は船酔いがひどく船に乗れなかったため、一度も航海に出ていません。そもそもなぜエンリケ航海王子は未知の海に船を送り込んだのでしょう?一つは経済的な理由でした。

香辛料を求めて

香辛料で利益を得るため、ヨーロッパからインドに向かう新しいルートを探したかったのです。特に貴重だったのがコショウ、ナツメグ、クローブ、シナモン。これらの香辛料は、当時インドやインドネシア辺りでしか採ることが出来ませんでした。

インドで銀1gで仕入れたこしょう1kgが、ヨーロッパの食卓にあがる頃には銀30gに。実に30倍にまではねあがりました。

当時ヨーロッパに香辛料を運びためにはシルクロードを通らなければなりませんでした。しかし、15世紀オスマン帝国の台頭によってシルクロードが分断。オスマン帝国は香辛料に高い関税をかけていたのです。

当時、スペインとポルトガルはどちらが先にインドへ行けるか激しく競い合っていました。スペインは地球は丸いと信じるコロンブスが、西へ西へと船を走らせインドに到達しようとしました。

一方のポルトガルは、アフリカ周りでインド到達を目指しました。そこで登場したのがヴァスコ・ダ・ガマでした。

ヴァスコ・ダ・ガマ

ポルトガルの騎士階級の家に生まれたヴァスコ・ダ・ガマは、航海術はもちろん優れた交渉術の持ち主だったと言われ、インド到達計画の司令官に任命されました。ポルトガルの狙いはインドと親交を深め香辛料を買い付けること。


ヴァスコ・ダ・ガマ

1497年7月、ヴァスコ・ダ・ガマは船4隻、船員170人を率いてリスボンを出発。1498年5月にインドのカリカットに到達しました。

しかし、インド人に全く相手にされませんでした。その裏にはライバルのイスラム商人の存在がありました。海賊だと噂を流され貿易をしてもらえなかったのです。

そこでヴァスコ・ダ・ガマは、インドの王を人質にとり強引に香辛料を売るように迫ったり、インドに向けて大砲を撃ったりし、母国ポルトガルに巨万の富をもたらしました。ヴァスコ・ダ・ガマは、インド到達で莫大な報奨金と共に伯爵の地位を手に入れました。

リスボン地震

インド航路を開拓しスペインと世界を2分する黄金期を迎えたポルトガルでしたが、その繁栄に終止符が打たれたのが1755年のリスボン地震でした。建物の8割以上が倒壊。さらに、津波が起こり6万人以上が亡くなったと言われています。

その後、ポルトガルは慢性的な経済不況から今も抜け出せていません。

「137億年の物語~宇宙が始まってから今日までの全歴史~」

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