ナスカ 地上絵のミステリー|地球ドラマチック

今から2000年以上前、ナスカの人々は広大な大地に巨大な絵幾何学図形を描き、壮大な建物を築きました。彼らは一体何者だったのでしょうか?不思議な地上絵は誰に向けて描かれ、その目的は何だったのでしょうか?

 

ナスカの地上絵

ナスカの地上絵の多くは、紀元前200年頃~西暦700年頃のナスカ時代に描かれたと考えられています。地上絵は500㎢もの広大な範囲に点在しています。数は数千とも言われ、その全貌は未だに把握されていません。

サルの絵は代表的な地上絵の一つで、横83メートル、縦70メートルです。ナスカ時代の初め頃に描かれました。サルのしっぽには豊かさを表す重要な表現があります。当時、ナスカの人たちはが何よりも大切な乾燥した地域に暮らしていました。渦巻き型のしっぽは生命の持続を表しています。

(考古学者ジョニー・イスラ)

 

NASAも調査に協力!

地上絵を網羅した完全なリストを作成するため、ペルー当局はNASAに協力を求めました。NASAの航空機搭載型レーダーは、広範囲にわたる遺跡を上空から高解像度でとらえることができます。

 

NASAのレーダーで集められたデータによって、地上絵の種類や所在地を示す分布図が作られています。大部分の地上絵は、ナスカに集中していますが、それよりも北の地域パルパにも分布しています。

 

新たに発見された地上絵

一方、ドローンを使った最新の調査によってパルパでは山影に隠れていたもの、人が近づけない場所にあったものなど新たに40の地上絵が確認されています。

 

新たに見つかった地上絵のシャチ。シャチは神として崇められたものの一つです。ナスカより前の時代、多くの共同体が沿岸部に暮らし海産物を糧としていました。

 

人々はシャチのパワーと獰猛さに圧倒され、神として崇めるようになりました。ナスカやパルパのさらに北チンチャでも、考古学者たちは砂漠に描かれた直線を発見しています。

 

地上絵 誕生の謎

 

ナスカの地上絵によく似た線ですが、実際にはもっと古いものです。チンチャの地上絵がナスカより前に存在したパラカスの文化に属することは明白です。ナスカの地上絵に代表される砂漠に線を引くというアイディアはパラカス時代に生まれたんです。

(考古学者チャールズ・スタニッシュ)

 

最初の地上絵の描き手パラカスの人々については、フランスとペルーの考古学者による合同の調査が行われています。

 

地上の線が異なる集落を結ぶ道だった一方で、丘の斜面に描かれた絵には違う役目があったと考えられます。

 

交流をうながす巨大な広告だったのかもしれません。

(考古学者チャールズ・スタニッシュ)

様々な共同体が砂漠の真ん中にある中立地帯で一堂にかいしたと考えられます。

 

山に暮らす人々はアルパカの毛やイモなどの野菜を持ちより、海沿いの人々は魚などの海産物を持ち寄ったのでしょう。

 

巨大な広告、道路といった説明はパラカス時代の地上絵にはうまくあてはまります。しかし、ナスカ時代の地上絵の謎は見かけより遥かに複雑です。南部では巨大な四角形や幾何学図形も見つかっているからです。

 

ナスカのカワチ遺跡では、砂に覆われた神殿や墓地、ピラミッドの跡が見つかっています。24㎢にも及ぶカワチの中心部は、紀元前200年頃~西暦450年頃まで使われていたと考えられています。

古代の人々の信仰

巡礼に訪れた人々は収穫物や捧げものを入れたを神官に献上し、ツボは後に地中に埋められました。ツボからは粘土の欠片を糸で繋いだ小物も出てきました。家族の結束を祈り、巡礼の記念に入れたのかもしれません。

 

ハチドリやサル、植物などはナスカ時代にみられる典型的な絵柄です。カワチ神殿は神官や大勢の巡礼者が訪れる重要な祭祀の中心地でした。周辺の砂漠に描かれた地上絵は、礼拝所として利用されていたのかもしれません。

 

誰が何のために造った?

 

これらの地上絵は空の上から眺めるためのものであり、人々が自分の目で見る必要はありませんでした。神々への儀式であり捧げものだったからです。神ともいうべき擬人化された神話的存在は土器や織物に度々描かれており、常に空を飛んでいる姿をしています。ハチドリやサル、クモなどの絵を地上から判断するのは困難です。重要なのは、人間に見せることではなく高みの存在に見てもらうことだったのです。

(考古学者ジョニー・イスラ)

 

地上に絵を描くために、当時の人々はナスカ台地の特徴をうまく利用しました。

 

これらの線は辺りの石を取り除き、その下の明るい色の砂地を剥き出しにすることで描いたものです。

(考古学者ジョニー・イスラ)

 

これほど大きなスケールで地上絵の輪郭を描いたということは、当時の人々には数学とりわけ幾何学的な技能があったと考えられます。

 

全体を指揮したのは一人か二人の人物で、関わった労働者の数は地上絵の大きさによって異なったでしょう。

(考古学者ジョニー・イスラ)

 

ナスカの人々は地上絵を訪れ、そこで様々な儀式を行いました。水で満たされた土器を割って行う雨乞いの儀式が行われた可能性があります。

 

多くの象徴的な絵柄のうち、最も多くみられるのはハチドリです。ハチドリはしばしば花と一緒に描かれ、花の蜜を吸っています。ハチドリは非常に象徴的な存在です。なぜならハチドリは危険にさらされると心拍数が落ちて仮死状態となり、その後再び元の活動に戻ることができるからです。ある意味ハチドリはナスカの人々にとって再生のシンボルのような存在となったのでしょう。

(考古学者ジュゼッペ・オレフィチ)

 

質の高い土器やそこに描かれた象徴的な絵柄は、ナスカの人々と日常生活と信仰のありようを物語っています。

 

クモは豊かさとに関わる概念と密接に結びついたシンボルです。

(考古学者ジュゼッペ・オレフィチ)

 

乾燥地帯に住むナスカの人々にとって、は欠かせないものでした。地上絵は神々に雨を降らせてくれるよう祈願するために用いられたのでしょう。

 

古代の人々の暮らし

布には地上絵と共通する絵柄が刺繍されています。それはナスカの人々が信仰を大切にしていたということを示すものです。ナスカ時代やパラカス時代の布製品のユニークさと複雑さは、世界中の研究者を魅了しています。

 

パラカスの布の多くは、アルパカやリャマなどの毛で作られています。その最も魅力的な特徴は多彩な色です。

 

青、黄、緑などの色が用いられています。一枚の布に250以上の色合いが確認されました。

(考古学/人類学者クリストフ・ムルラ)

 

布に包まれたミイラ ファルド

カワチ遺跡で新たに発見されたのが、ナスカの人々が葬った布に包まれたミイラ「ファルド」です。

 

ミイラはうずくまる姿勢で座っています。死後、永遠の命を得るためにパラカスとナスカの人々はファルドを作りました。亡骸をうずくまらせてしっかりと縛り、貴重な布でいくえにも包みました。

 

ファルドの儀式は子供に対しても行われました。高貴な人物の亡骸には30枚近い布がかぶせられていた例もあります。亡骸を包む布の間には、衣服やトウモロコシなどが挟みこまれ、他にも様々な捧げものが埋葬されました。

 

こうした独特な葬送儀礼は、パラカスからナスカに受け継がれました。

 

古代の人々の信仰

布に描かれた神話上の祖先は、死者が彼らの一員となり共同体を守る役割を果たす手助けをしたと考えられています。人々の信仰と神話を豊かに物語るものです。

 

トロフィーヘッド」と呼ばれる人の首は、パラカスやナスカの織物にしばしば登場します。トロフィーヘッドは地上絵の中にも見つかっています。

 

こうした絵柄は若者を生贄にした宗教儀式と結びついていると考えられています。ナスカの人々が生贄の儀式のために、痛みを鈍らせる薬物を使っていたことも分かっています。人々は犠牲を払って死にゆくことで、より重要な永遠の命へ向かうことができると考えたのです。

 

人々が目指したのは、自然界とバランスをとることでした。血を流すことで大地を肥沃にすると信じられていたんです。

(生物考古学/法医人類学者エルサ・トマスト)

 

奇妙な頭蓋骨の秘密

当時の人々は新生児の頭を1年間、紐と小さな板で固定しました。適切に行えば痛みはありません。この圧迫のテクニックは頭蓋骨を様々な形にするために使われました。

 

地域によって違いがあり、長いタイプの頭蓋骨は山間部のもの。平たいタイプは沿岸部のものです。

(エルサ・トマスト)

 

異なる形の頭蓋骨にしたのは他の集団と区別するためだったのかもしれません。

 

衰退の道へ…

紀元前200年以降、ナスカを中心とする文化が発展し、次第にパラカスの文化を吸収していきました。その後、ナスカもまた衰退の道を辿り始めました。この地域で水が枯渇し始めたのです。ナスカはゆっくりと進む砂漠化に直面しました。

 

ナスカの時代には、パラカスの時代より多くの地上絵が作られました。砂漠化の進行によって水を祈願する儀式は増加したと考えられます。

(考古学者ジョニー・イスラ)

 

水を得ることは権力を得ることでした。カワチの神官たちは川から水を引いた肥沃な帯状の土地に居を構えていました。しかし、気候変動は否応なく進み、干ばつや洪水が度々起こるようになるとナスカの人々の信仰は揺らぎました。

 

捧げものをしても成果が得られず共同体は危機に瀕し、信仰の中心地カワチは衰退し始めました。

(考古学者ジョニー・イスラ)

 

気候変動と地震が続き、人々の信仰は薄れ始めました。ナスカの人々はカワチに背を向け、新たなタイプの地上絵を描くようになりました。

 

地上絵が当初の宗教的な意味を失うと、その後の世代は新しいタイプの地上絵を描き始めました。具体的に言うと、かつて描かれた動物の地上絵を横切るような直線四角形の地上絵を描くようになったのです。

(考古学者ジョニー・イスラ)

 

ナスカの人々は新たなタイプの地上絵を描き、アンデス山脈に雨が降って、川が再び水で満たされることを願いました。

 

願いが聞き入れられないと知った人々は、次第にこの土地を離れカワチ神殿は衰退しました。

 

NASCA
THE LINES THAT SPOKE TO THE SKY
(フランス 2018年)

 

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ナスカ 地上絵のミステリー

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