菅原初代(すがわらはつよ)さんは、2007年の「元祖!大食い王決定戦」で大食い界に彗星のごとく現れると初出演にして驚異の食べっぷりで優勝。その風貌からついたあだ名は「魔女」でした。ギャル曽根さんとしのぎを削り、大食いブームの火付け役となりました。
現在53歳になった菅原初代さん。一人息子の慶さん(14歳)は一見普通の男の子に見えますが発達障害です。発達障害には症状や特性により様々なタイプがありますが慶さんの場合はADHD(注意欠如多動性障害)です。菅原初代さんは大食いスターとして注目される裏で、世間に知られることなく発達障害の子供を育ててきました。
菅原初代さんは1963年、岩手県の田舎町で2人兄弟の長女として生まれました。祖父は小さなパン屋を営み、母は朝から晩まで中華料理店につとめ菅原初代さんもまた食べることが何よりの楽しみでした。そのため、給食では一人で5杯のおかわりは当たり前、その大食いっぷりでクラスでは変わり者でした。さらに、どこか言葉がたどたどしかった菅原初代さんは人と会話をするのが苦手でした。
短大卒業後、図書館の司書に。34歳の時、友人の紹介で知り合った男性と結婚しました。その後、息子を授かったのを機に専業主婦になりました。菅原初代にとってやっとつかんだ幸せでした。しかし、家族の生活は息子の成長と共に一変しました。
慶くんは幼い頃から変わったところがありました。ふと目を離すとすぐいなくなり、次々と問題を起こしていったと言います。大きな音に怯え耳を塞ぎ、その手をいつまでも離さなかったり、深夜になっても眠らず暗闇で遊び続けるように。
そんな中、菅原初代さんが何より違和感をおぼえていた行動が叱っても笑い続けること。そんなある日のこと、当時注目され始めていた発達障害に関する記事を目にしました。息子について思い当たることばかりでした。
慶くんが3歳を過ぎた頃、小児科で診てもらうことにしました。そして1年後、ADHDと診断されました。夫に息子の診断結果を伝えても、夫は「信じない」と言ってきました。息子をめぐって夫婦仲がかみ合わなくなり離婚。その後、シングルマザーとして自宅の一部でパン屋を開くなど女手一つで懸命に息子を育てました。
当時、発達障害はほとんど認識されておらず周囲は菅原初代さんの子育てのやり方を責めました。さらに、自分の親までも理解してくれませんでした。周囲に分かってもらえず追い詰められていった菅原初代さんですが、転機が訪れました。
気分転換のつもりで大食い大会に出場。すると、初出場にして15分で298杯のわんこそばを平らげ、女性の歴代最高記録を樹立しました。そして、瞬く間に大食いの世界でスターに。家庭のことで憂鬱になっても食べている間は目の前の皿に集中し全てを忘れられたと言います。
菅原初代さんは慶くんを見ていて自分も発達障害ではないかと思うようになりました。実は近年、子供の頃には気づかず大人になってから発達障害と診断されるケースが増えていると言います。
そこで菅原初代さんは専門機関で診察を受けることにしました。診断していたのは昭和大学附属烏山病院の高塩理さん。菅原初代さんは発達障害の傾向があるそうですが、大きな問題はないとのことです。
慶さんは5歳から行える投薬治療と特別支援学級で学ぶことで1人で買い物ができるまでに成長しています。そして菅原初代さんから大食いの才能を受け継いでいます。回転寿司で2人が食べたのは246貫でした。
「爆報!THEフライデー」
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