ブルース・クック 伝説のライダーの前人未踏の挑戦|アンビリバボー

ナイトロ・サーカスは世界中で公演され今年で10周年を迎える大人気ショーですが、その歴史の中で今も語り継がれる伝説の公演が2つあると言います。

その一つ目は2014年1月3日、カナダ・ハミルトンで行われました。新人ライダーがこれまで誰も挑戦したことのなかった世紀の大技にチャレンジしようとしていたのです。

ブルース・クックは1987年にカナダ・ケロウナで生まれました。幼い頃からやんちゃ坊主だったという彼は5歳の時に親戚にミニバイクをプレゼントされました。近所に住んでいた親友のトムと毎日のように危険な遊びを繰り返していました。スリルを追い求める日々の中でブルース・クックはプロのバイクライダーになるという夢を抱くようになりました。

しかし、バイクライダーになるという夢を周囲は真剣に受け止めてくれませんでした。唯一、父親のロッドだけがブルース・クックの夢を真剣に受け止めてくれたと言います。

こうしてプロライダーを目指し本格的な練習に明け暮れるようになったブルース・クックは、やがて国内の大会やショーに参戦。持ち前の度胸を武器に「命知らずのライダー」と評されるように徐々に知名度を上げていきました。

そんなある日、ナイトロ・サーカスのリーダーであるトラヴィス・パストラーナはダブルフリップを可能とする特殊なランプ(ジャンプ台)の開発に成功したと言うのです。前方2回転宙返り(ダブルフリップ)はかつてバイクでは誰一人挑戦したことのない大技でした。トラヴィスの開発したランプは不安定な踏切のためバランスを取ることすら困難でした。そのため本格的に挑戦しようという選手はなかなか現れませんでした。それでもブルース・クックはこの誘いを承諾しました。

3か月の猛特訓で着地地点がスポンジの練習場ではかなりの確率でこの技を成功できるようになっていました。しかし、本番で着地に失敗。ブルース・クックはすぐさま病院に搬送され、緊急手術により命はとりとめました。しかし、脊髄損傷で下半身不随になってしまいました。

ブルース・クックはそれまで自分のために競技を続けてきました。しかし、この事故はカナダ全土でも大きく報じられ、この競技の危険な印象をより世間に与えてしまいました。その時ブルース・クックは思いました。今回の事故で傷ついたのは自分だけではない。だからこそ同じ競技を愛する仲間の笑顔を消してはいけないと。そして何よりも今回のきっかけを作り大きな責任を感じているリーダーのトラヴィスにこれ以上下を向いて欲しくないと。そう思ったブルース・クックは事故からたった10日でリハビリを開始しました。

事故から3か月後、ブルース・クックはまたバイクに乗ることを決意。その後、背中と膝を固定させるための器具を装備するなど、半年をかけてバイクを改良。事故から10ヶ月後には運転の練習を再開しました。下半身のふんばりが全くきかないためジャンプなどのトリックは現実的に不可能とされていましたが、それでもブルース・クックは諦めることなく練習に明け暮れました。

そして事故から1年9カ月後の2015年10月14日、ブルース・クックは再びナイトロ・サーカスに戻ってきました。そして会場の度肝を抜くパフォーマンスを見せました。下半身が動かない状態にも関わらずバイクは空中で1回転したのです。

僕自身は現役復帰出来たことを特別な事だとは思っていません。もし成し遂げたい事があるのであれば、一生懸命それに向かって頑張れば必ずいい事が起きる。小さい頃から父にそう教えられてきましたから。

(ブルース・クック)

ブルース・クックはその後、とても大切な人が出来たと言います。それは恋人のリアさんです。

これまではケガをしても自分一人の問題で済みましたが、今は違うので最近はツアーに出る時も考える事が増えたと思います。

(ブルース・クック)

そんな守るべき存在を手に入れたブルース・クックは、最近バイクではなく自動車でリアさんとのドライブを楽しむようになったと言います。しかし、もちろんただのドライブではありません。足を使わないで運転できるよう改造したバギーでサーキットを疾走するのです。

「奇跡体験!アンビリバボー」
伝説のライダーの前人未踏の挑戦

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