金芽米(きんめまい)は産地や銘柄に関係なく、どんなお米もワンランク上のお米にしてしまいます。その秘密は精米技術にあります。開発したのは東洋ライス社長の雜賀慶二(さいかけいじ)さん。彼は無洗米の生みの親でもあります。
雜賀慶二さんは、和歌山から様々な精米機を世に送り出してきました。精米とは玄米を白米にする作業のこと。日本のお米をもっと美味しく、もっと健康に、とつきつめて生まれたのが金芽米です。
金芽米はお米のブランド銘ではありません。それは、どこの産地のどんな銘柄だろうが、ありとあらゆるお米の味や栄養価をグレードアップさせてしまう夢のような精米技術から生まれるお米のこと。鍵となるのが玄米の中に隠されたお宝です。
玄米から味のよくない胚芽とぬかを取り除くのが従来の精米です。実はぬかの裏側に旨味と栄養価の高い薄い層が隠されています。雜賀慶二さんは初めてそこに注目。亜糊粉層(あこふんそう)と呼ばれるその薄皮部分を残すことに成功したのが金芽米なのです。
金芽米は普通のお米と比べるとビタミンB1は約9倍、ナイアシンは約4倍、オリゴ糖類は約11倍、食物繊維は約1.5倍も含まれています。また亜糊粉層は大量に水を吸うため炊き上がったお米は膨らんでかさが増します。そのため金芽米は1割ほど少なめに炊いても出来上がりは普通の白米と同じ量になるのです。そのため同じ量を食べてもカロリーオフになります。
雜賀慶二さんは戦争を経験し食料不足に苦しみました。中学を出ると進学する兄に代わり、家業である精米機の販売・修理業をつぎ一家を支えました。空腹を満たすためによく川へうなぎを捕りに出かけました。とことんウナギの気持ちになりきって仕掛けを考えたと言います。そのものになりきれば必ずアイディアが生まれるというのが貧しさの中でつかんだ発想法でした。
そんな雜賀慶二さんに転機が訪れたのは70年代半ば。淡路島へ出かけた時、船の上から海を見ると水が黄土色に濁っていました。水質汚染のせいでした。原因の一つは米のとぎ汁。原因は精米にあると、雜賀慶二さんはいてもたってもいられなくなったと言います。
精米したお米の表面には粘着力の強い肌糠(はだぬか)が残ります。これを取り除くことが出来れば米を磨ぐ必要がなくなります。故郷のキレイな海を取り戻したいと雜賀慶二さんは無洗米の開発を始めました。しかし、水を使わずに粘りつく肌糠をとるのは並大抵の作業ではありませんでした。
試行錯誤を続けること10年。雜賀慶二さんはひょんなことからヒントを得ました。それはズボンに偶然くっついていたチューイングガム。チューイングガムを取るには、もう一つチューイングガムをくっつけると取れます。
お米になりきった雜賀慶二さんが開発したのがBG無洗米機。精米機の中ではじき飛ばされた肌糠が回りに付着。その肌糠が今度は残りの肌糠を剥ぎ取っていくというもの。ガムでガムを取るのと同じです。こうしてとがずに炊ける無洗米が誕生。故郷のキレイな海を取り戻したいと誓ってから15年。雜賀慶二さんはついに夢を叶えたのです。
それから無洗米の技術をいかし、みんなが健康になれるお米を作りたいと雜賀慶二さんは考えました。玄米から白米へ精米が進むにつれ美味しさは増しますが、栄養価はどんどん失われてしまいます。もったないと思った雜賀慶二さんが考えたのが、肌糠の裏側にある味も栄養価も高い亜糊粉層を残すこと。ところが100分の1ミリの薄皮を残すなど、精米の粋を超えた不可能とも思える発想でした。
ところが、無洗米の誕生から14年、雜賀慶二さんは見事に新たな精米技術を開発しました。従来の精米は圧力をかける部分の角度をきつくし、強い力で糠を剥ぎ取っていました。一方、金芽米はその角度をゆるくし少しずつ薄皮をむくように糠を取り亜糊粉層を残すことに成功したのです。
米を愛し、米になりきる精米に人生をかけた男が見つめているのは日本の米文化の明るい未来です。
「夢の扉+」
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