1914年、第一次世界大戦が勃発。イギリスを中心とする連合国とドイツを中心とする同盟国に分かれ、世界各地で激戦が繰り広げられました。日本は連合国側につき参戦。主にアジアで戦いました。
血で血を洗う戦争は4年も続き、全世界で戦死者は約1000万人にものぼったと言います。
しかし、そんな戦争の真っ只中クリスマスに信じられない出来事が起きました。敵同士であるイギリス兵とドイツ兵が仲良く並んでいる写真が新聞の一面を飾ったのです。
1914年8月に始まった第一次世界大戦。イギリス軍とドイツ軍はベルギーからフランス北部にかけての西部戦線で激しくぶつかりました。当時は大砲や機関銃の攻撃を避けるために塹壕(ざんごう)と呼ばれる穴に身を隠して戦っていました。
中間地帯と呼ばれる数十メートルの土地を挟んで、穴の中から両軍が互いに睨み合うのです。そこは、繰り返される戦闘によって毎日死体が増えていく地獄のような場所でした。
クリスマス休戦
ところが12月25日、クリスマスをむかえた戦場で信じられない出来事が起きたと言われています。それはフランス・ウプリーヌにあるイギリス軍の塹壕で起きました。
凍えるような寒さの中、クリスマスを祝いたいと思っていた一人の兵士が板に泥でメリークリスマスと書き始めました。それをドイツ軍の塹壕に向けて掲げました。さらに、クリスマスプレゼントとしてプリンを投げました。
しばらくすると、一人のドイツ兵が向かってきました。イギリス兵の一人も向かっていき、2人は握手をかわしました。これを合図に他の兵士も銃を捨て敵味方を超えた兵士たちの交流が始まったのです。クリスマスという聖なる日をイギリス兵とドイツ兵が共に祝いあうという奇跡が起きました。
クリスマスの正午には、多くの戦場で敵味方を越えた交流の輪が広まりました。イギリス軍にいたっては前線で戦う兵士の半数が敵との交流を持ったと言います。中には芸を披露するもの、音楽を奏でるもの、伸びた髭を互いに剃り合うものまであらわれました。和やかに酒を酌み交わし記念写真を撮りました。
さらに、ある戦場ではどこかから見つけてきたボールでイギリス対ドイツのサッカーの試合が始まったと言います。60人対60人というとんでもない試合でしたが、彼らは子供のようにはしゃぎ楽しみました。ちなみに、試合結果は3対2でドイツ軍が勝利したと言われています。
そして、敵味方が一緒になり戦死した仲間たちを埋葬。銃弾が飛び交う時には手を出せなかった仲間をようやく供養することが出来たのです。しかし、このクリスマスの休戦は非公式なもの。軍上層部が許した休戦ではありませんでした。
数日後、イギリス兵とドイツ兵が一緒に写った写真がイギリスの新聞の一面を飾りました。これにより軍上層部がクリスマス休戦の事実を知ることになってしまいました。
軍上層部は兵士たちへの締め付けを徹底。しかし、このクリスマスの交流によって敵同士ながらも兵士たちの間にはすでに友情が芽生えていました。そんな相手を殺すことなど出来ないと、イギリス兵は戦うふりをしてわざと狙いをはずし、ドイツ軍でも戦闘を拒否する兵士が後を絶たなかったといいます。
しかし、戦わないなら殺すと脅され再び戦闘が始まりました。
第一次世界大戦は泥沼の長期戦に突入し、クリスマスはその後3度訪れたもののこのような休戦は二度となかったと言います。それは1914年に起きたクリスマスの奇跡だったのです。
「世界まる見え!テレビ特捜部」
第一次世界大戦のクリスマス休戦
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