1979年にスタートした「おはようスタジオ」で司会者をつとめたのが、志賀ちゃんこと志賀正浩(しがまさひろ)さんです。当時、子供に人気だったファミコンやラジコンをとりあげ、東京タワーの前には最大1000人の子供が殺到。志賀ちゃんは子供たちのアイドルとして朝の顔となりました。
またプライベートでも1982年に35歳の一般女性と結婚。公私ともに順風満帆な人生を送っていました。
しかし、1986年「おはようスタジオ」終了後、彼の人生を襲ったのは度重なる病でした。
1989年、志賀正浩さんは休暇中のサイパンで呼吸困難に。一時危篤に陥るも一命をとりとめました。その後は網膜剥離に。完治のため8度にわたってメスを入れるも左目は失明に至ってしまいました。
そして60歳の時には食道がんが判明。しかも5回も見つかったのだと言います。今もなおがん再発の危険にさらされています。
しかし、そんな志賀正浩さんに生きる勇気を与えたのが、「おはようスタジオ」を見て育った世代の子供たち。実は現在、音楽事務所の代表をつとめています。病におかされながらも音楽イベントの企画・運営できているのは、あの日の子供たちに元気をもらえているからだそうです。
「爆報!THEフライデー」
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