1970年代、日本には第2次ベビーブームが到来していました。
1978年、埼玉県所沢市に越してきた一組の夫婦が事件に巻き込まれました。野崎夕子さん(仮名)と武さん(仮名)は結婚7年目。夕子さんは、数か月前から下腹部に違和感をおぼえていました。そして1979年10月、富士見産婦人科病院へ。
富士見産婦人科病院は当時、女性たちに評判の病院でした。その頃、まだ珍しかった院内の喫茶室や美容院までそなえていたからです。
夕子さんは、ためらう間もなくME検査の部屋へ連れていかれたと言います。今でこそ一般的ですが、当時は超音波エコー装置は日本に数台しかありませんでした。
装置を操っていたのは理事長。検査を終えると理事長はこう言ってきました。
そして、子宮の全摘手術が必要だと告げられたのです。
夕子さんは、言われるがままに手術を受けました。当時、子宮全摘の費用は国立病院なら数万円が普通でした。しかし、富士見産婦人科病院では43万円も請求されたのです。
しかも退院後、激しい腹痛に襲われました。子宮摘出によって女性ホルモンの低下を招いたせいでした。病院に相談するとホルモン注射を打たれました。一般の病院では820円にも関わらず、富士見産婦人科病院では5000円もかかりました。
事件発覚
手術から1年程が過ぎた1980年9月12日、富士見産婦人科病院が女性たちの健康な子宮を摘出していることがニュースになりました。
夕子さんは、別の産婦人科を訪ね手術記録を見せると「子宮を切る必要はなく子供もできたと思います」と言われました。
保健所の呼びかけに応じてデタラメな診療を受けたという女性たちが集まりました。その数は500人以上。病院という密室で行われた前代未聞の事件に、悲痛な抗議が殺到しました。
しかし、理事長は「詫びなければならない事実は無いんだから詫びる必要は無い」と言い放ちました。理事長は医師や看護師を意のままに牛耳っていました。また、当時の厚生大臣をはじめ多くの政治家に献金をしていた事実も発覚。さらに、手術を決めていた理事長は医師免許を持っていませんでした。病院は廃業すると誰もが思いました。
しかし、検察は起訴を断念。全ては病院という特殊な場所でのできごとで、医師たちが悪意を持って子宮を切除したと認められる確証はつかめなかったのです。
医師法違反に問われた理事長は、執行猶予となり一時閉鎖していた病院は、再開に向けて動きだしました。
被害者同盟
これに対し、小西熱子さんは被害者同盟を組織しました。病院再開に抗議して彼女たちは反対運動を起こしました。しかし、メディアの後押しもそのご徐々に消えていきました。世間の目を負担に感じた人もいたと言います。
民事裁判で闘うには、健康な子宮にメスを入れたという決定的な証拠が必要になりました。彼女たちは、切除された子宮の写真を理事長から渡されていました。それは、産婦人科医なら一目で正常と分かるものでした。
さらに、病院には摘出された40余りの子宮が漬物の瓶などに保存されていました。事件直後、警察はそれらの子宮に異常がないことを把握しながら検査結果を公表していなかったのです。
被害者同盟は、3年かけて埋もれていた検査結果を手に入れました。反論を繰り返す理事長を相手に、裁判は途方もない長期戦に。夫に反対され離婚した女性も、後遺症に苦しみ自ら命を絶った女性もいました。闘争は20年以上にも及びました。
そして2004年7月13日、裁判所はついに病院が手術の必要のない女性たちの子宮を切除していたことを認め、理事長らに総額5億1425万円の賠償を支払うよう命じました。
「報道スクープSP 激動!世紀の大事件Ⅲ」
この記事のコメント
こういうのって、悪党は実名を出されて当然なんだが、それを自粛しちゃうような風潮になってしまった今の日本社会ってのは本当に異常だねえぇぇ……