戦後70年ニッポンの肖像 日本人と象徴天皇 平和を願い続けて|NHKスペシャル

敗戦から7年で独立した日本は、象徴となった天皇と共に国際社会に再デビューを果たしました。高度経済成長による奇跡の復興で、戦争は次第に過去のものとなっていきました。その中で天皇は象徴として国の内外で歴史と向き合い平和の道を探り続けることになりました。

 

1958年、当時の皇太子と正田美智子さんの婚約が発表されました。連日、新たな皇室を印象付けるエピソードがメディアを賑わせ、いわゆるミッチーブームが巻き起こりました。「明日は今日より豊かになる」そんな空気が社会に広がっていました。目覚しい経済成長の中で皇室は平和で豊かな生活の象徴となりました。

 

1964年10月、昭和天皇の宣言で始まった東京オリンピックは国内外に奇跡の復興を印象付けました。

 

一方、戦後日本から切り離されアメリカの施政権化にあった沖縄はベトナム戦争を戦うアメリカの軍事拠点となっていました。一刻も早く日本に復帰し基地をなくして欲しいと祖国復帰を求める運動が広がっていました。

 

沖縄の人々に寄り添おうとしたのが当時の皇太子です。1968年には沖縄の歴史を描いた展覧会に夫妻で足を運び、厳しい現実を学びました。国内で唯一住民を巻き込んだ地上戦が行われた沖縄は、本土防衛のための徹底抗戦で18万人が亡くなりました。住民の4人に1人が犠牲になったのです。

 

1972年5月、沖縄は27年ぶりに日本に復帰しました。しかし、県民の期待とは裏腹に基地のほとんどはそのまま残されることに。沖縄からはベトナム戦争のために爆撃機が次々と飛び立っていきました。

 

本土復帰から3年後、沖縄に皇太子夫妻が訪れることに。復帰を記念した海洋博覧会に出席することになったのです。しかし、県民の受け止めは複雑でした。皇太子は訪問前の3ヶ月間で60人以上の学者や関係者を招き沖縄についてさらに学んだと言います。出発前日には親交のあった沖縄文化の研究者・外間守善さんから話を聞きました。

 

7月17日、皇太子夫妻は沖縄へ。真っ先に向かったのはひめゆりの塔でした。説明を聞き始めた時、訪問に反対する地元の青年が火炎瓶を投げつけたのです。皇太子夫妻はいったん車に入った後、すぐに混乱する現場に戻り、この日の夜、皇太子は沖縄県民に向けたメッセージを発表しました。

 

1970年代になると戦後生まれが人口の半数を占め、戦争はますます過去のものとなっていきました。1971年9月、昭和天皇は半世紀ぶりにヨーロッパを訪れることに。各国の王室と親交を深めることが目的でした。象徴天皇となって初めての外国訪問は、ヨーロッパ各地で歓迎を受けました。

 

その一方で市民の複雑な感情にも触れることに。激しい反発があったのがオランダでした。イギリス、オランダなどの連合国は太平洋戦争で多くの兵士や民間人が日本軍に捕らわれ命を落としていました。日本の象徴に向けられた激しい感情は戦争の記憶が薄れていた日本社会に衝撃を与えました。

 

ヨーロッパ訪問から4年後、昭和天皇はアメリカを訪れることになりました。戦後30年の節目にアメリカ政府から招待を受けたのです。再び反発が起きるのではないかと政府の中には懸念もありました。渡米に先立ち政府はアメリカのメディアに昭和天皇へのインタビューを許可しました。ホワイトハウスで開かれた晩餐会では昭和天皇のスピーチに注目が集まりました。

 

アジア諸国との関係も改善していきました。昭和天皇は中国の指導者と初めて面会を果たしました。さらに韓国の大統領とも初めて会談しました。改善しつつあった近隣諸国との関係の中、象徴天皇としての姿がありました。

 

戦後40年を迎えた1985年、終戦の日に中曽根総理大臣が靖国神社を公式参拝。すると中国、韓国が批判。靖国神社は明治天皇によって創建され、国のために戦い亡くなった人たちをまつってきました。そこに敗戦後の東京裁判で裁かれたA級戦犯14人が合祀されたのは1978年のことでした。戦後、たびたび靖国神社を参拝し戦没者を追悼してきた昭和天皇ですが、合祀の3年前を最後に参拝していませんでした。その後も昭和天皇が靖国神社を参拝することはありませんでした。昭和天皇が晩年まで足を運べずにいたもう一つの場所が沖縄です。

 

1987年の国体が沖縄で開催されることになりました。昭和天皇が開会式に出席することに。期待が高まる一方で厳重な警備が敷かれ空気は張り詰めていきました。ところが昭和天皇は開会式を前に体調を崩して入院。沖縄訪問は中止となり急遽、皇太子が出席することになりました。1988年8月、昭和天皇は静養していた那須から東京へ向かいました。病気をおして全国戦没者追悼式に出席したのです。これが国民の前に見せた最後の姿でした。

 

1989年、天皇陛下は55歳で即位されました。即位直後から象徴としての模索が始まりました。新たな天皇の姿として多くの人の印象に残ったのが国民との距離の近さです。国際親善においても重要な役割を果たされます。即位以来アジアの国々を訪問。1992年には初めての中国訪問が決まりました。国交正常化20年の節目に招待を受けたのです。しかし日本国内では訪中を決めた政府に対し抗議が起きました。

 

こうした中、天皇陛下は中国を訪問しました。その後も国内外での祈りの旅は続き2005年には太平洋の激戦地サイパンを訪問。2011年には東日本大震災の被災地へ。2014年には広島土砂災害の現場へ。そして天皇陛下は昭和天皇が果たせなかった沖縄訪問も大切にされています。

 

「NHKスペシャル」
戦後70年ニッポンの肖像
日本人と象徴天皇
第2回 平和を願い続けて