川谷拓三(かわたにたくぞう)さんといえば、「どん兵衛」のCMに10年以上にわたり出演し一世を風靡。そんな彼には「3000回死んだ男」という異名がありました。悪役として3000回以上、映画やドラマで殺されてきたからです。多くの作品で熱演し、名俳優の仲間入りを果たしました。
しかし、川谷拓三さんは1995年12月22日に肺がんで亡くなりました。
川谷拓三の残された妻は今…
現在、川谷拓三さんの妻・仁科克子さん(76歳)は京都の太秦に住んでいます。しかし、家の門は傾き庭は荒れ放題。家を維持するのが精一杯で建て直す余裕はなく現在は年金暮らしのギリギリの生活を送っていると言います。
しかし、川谷拓三さんほどのスターの家族がなぜこれほど貧しいのでしょうか?そこには破天荒な夫に振り回された妻の過酷な人生がありました。
破天荒な夫に振り回された妻
1963年、川谷拓三さんは同じ東映の大部屋俳優・克子さんと結婚。1男1女、2人の子宝に恵まれると妻の克子さんは夫を支えるため女優を引退し家事に専念しました。
しかし、川谷拓三さんはとんでもない事件を起こしました。
ある夜、克子さんは警察に呼び出されました。川谷拓三さんは飲んで酔っ払いケンカをし警察に連行されていたのです。妻の克子さんは身元引受人となり頭を下げ続けることになりました。
さらに、川谷拓三さんは金銭感覚ゼロで貯金を全くしなかったと言います。彼は自分の奢りで毎晩のように飲み歩き、稼いだギャラはほとんど飲み代に。しかも、川谷拓三さん自身の生活が苦しいにも関わらず困っている人にお金を貸していたそうです。しかし、そんなお人よしな性格が悲劇を生んでしまいました。
1990年に個人事務所「拓プロ」を立ち上げた川谷拓三さんですが、3年間も社員に裏切られ続けていたのです。経理担当の社員を信頼し金銭関係の一切を任せていたところ、その社員が会社の金を3年にわたり着服していたことが発覚。被害総額は推定7000万円。一家はどん底の貧乏生活へ突き落とされました。
それでも妻の克子さんは自らが経営に乗り出し夫を支えました。克子さんはお金がなくても川谷拓三さんの人柄を愛していたのだと言います。
しかし、そんな夫婦にさらなる悲劇が。川谷拓三さんの肺がんが判明したのです。しかも末期状態のステージ4。もはや完治の可能性は極めて低く、命はもって1年でした。
それでも俳優として生涯を全うしたかった川谷拓三さんはマスコミには呼吸器系の病気と公表。世間には肺がんであることをひた隠し、命が尽きるまで俳優を続けることを決意したのです。
そして1995年12月22日に川谷拓三さんは亡くなりました。
夫の死から19年
川谷拓三さんの死から19年経った今も愛する夫をいつでも身近に感じられるよう、部屋は当時のままです。
そんな克子さんには今、生きる希望があります。それは長男の貴さん(43歳)です。実は父の背中を追って役者の道へ進んでいたのです。今では映画で主演を務めるなど役者として芽が出始めています。
残された家族は今、亡き父の思い出を胸に必死に生きています。
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