今から約100年前、遠野に出現する妖怪たちを描いた「遠野物語」が世に出ました。
「遠野物語」に登場するのは妖怪ばかりではありません。主人公は村人たちです。神様や妖怪に驚き恐れる人々はみんな実在した人物です。「遠野物語」は妖怪と出くわした人々が語った自らの体験談なのです。
遠野物語の世界を旅する
岩手県の遠野は、千メートル級の山々に囲まれた自然豊かな土地です。遠野には「妖怪を見た」という人が数多くいます。「遠野物語」はそうした不思議な目撃談を119編の話にまとめたもの。一つ一つの物語に妖怪や神様が人々の暮らしと深く結びついている様子が描かれています。
第十八話 ザシキワラシ遠野に山口孫左衛門という男が住む立派なお屋敷がありました。家族と使用人で20人以上。たいそう裕福な家でしたが、それは家を栄えさせる座敷わらしが住んでいるからだと言われていました。
ある時、その家の使用人が小屋でたくさんの蛇を見つけ、面白半分に殺してしまいました。その直後、同じ村の男が見たこともない2人の女の子に出会いました。女の子は「山口の孫左衛門のところから来た」と言いました。男が見たのは孫左衛門の家を出る座敷わらしの姿だったのです。
その後、孫左衛門の一家は滅亡しました。
一方、遠野物語には妖怪や神様が幸せをもたらす話もあります。その一つが遠野の土淵村に住む阿部家の物語です。安部さんの家では代々オクナイサマという神様を祀ってきました。一家にご利益をもたらす家の守り神です。
安部さんの家ではこの話を大切に語り継ぎ、今も毎朝の祈りを欠かしません。
オシラサマは娘と馬の姿をかたどった一対の像からなる不思議な神様です。
毎年、正月になると遠野の人々はオシラサマを祀る家に集まり娘と馬の魂を偲びながら一年の健康と無事を祈ります。
遠野物語が出版された明治43年(1910年)日本は富国強兵をかかげ近代化を推し進めていました。政府は妖怪伝説や庶民信仰が近代化の障害になる迷信であり邪な教え邪教であるとして厳しく禁止しました。さらに、学者は火の玉が天然ガスによる自然現象であると説明するなど、妖怪が科学的に解明できる幻想だと説きました。
日本中から妖怪たちが次々に姿を消していく中、世に出たのが「遠野物語」です。妖怪や神様を身近に感じながら生き生きと暮らす遠野の人々の姿は世間に大きな反響をもたらしました。合理性を追求する近代化の中で、ふと立ち止まり日本人が大切に受け継いできたものに目を向けようと遠野物語は語りかけているのです。
遠野物語の作者である柳田国男は後に民俗学という新しい学問を打ち立てた人物です。
柳田國男
しかし、遠野物語を執筆した当時、柳田国男は東京で役所勤めをしていました。一体なぜ遠野に縁もゆかりもない柳田国男が遠野物語を書いたのでしょうか?
遠野物語の作者 柳田國男の愛と悲しみ
明治8年(1875年)に柳田国男は兵庫県福崎町で生まれました。幼い頃から本が大好きだった柳田国男は成績も優秀で真面目な優等生だったと言われています。
19歳の時、東京の第一高等中学校(現在の東京大学教養学部)に進学。ところが、勉強一筋だった柳田国男の人生を大きく揺さぶる出来事が起こりました。7つ年下の少女いね子に恋をしたのです。
いね子は柳田国男の知り合いが開く裁縫教室に通ってくる美しい女性でした。しかし、その恋は柳田国男の片思い。柳田国男は3年もの長い間、少女に恋心を抱き続けました。その苦しい胸のうちをこう書き記しています。
恋が実らなかった男
死んでウグイスとなり
愛する少女のいる窓辺に行って鳴いた
少女が見つけても
逃げようともせず捕らえられ
籠の中で飼われることになった
しかし、そんな柳田国男の人生が突然暗転します。22歳の時、母と父が相次いで急死したのです。そして思いを寄せ続けたいね子が結核におかされてしまったのです。当時は特効薬もなく安静にして回復を待つしかありませんでした。いね子は遠く離れた親戚の家で療養することに。そして程なくして、いね子の死を人づてに知らされました。
やがて、柳田国男は亡くなった人の魂の行方について真剣に悩むように。決して答えの出ない疑問を抱えたまま、柳田国男はその後の人生を歩みました。
26歳で農商務省に入省し役人として働きだしました。
それから8年後の明治41年(1908年)遠野出身の学生・佐々木喜善と知り合いました。佐々木は遠野の人々が目撃したという妖怪や神様についての様々な物語を語りました。それは柳田国男が長年抱き続けてきた疑問に一筋の光を当てるものでした。
かつて魂がウグイスとなって愛する人の側にいると書いた柳田国男の話と不思議なほど重なる物語です。さらに、佐々木は死んだ者の魂がどこに行くのか具体的な物語も話しました。
柳田国男は、その後何度も佐々木から話を聞き続けました。そして2年後、119の物語を一冊の本にまとめました。遠野物語は愛する人の魂を探し続けた柳田国男の悲しみから生まれた作品でもあったのです。
遠野物語と津波 愛する家族との別れ
明治29年6月15日、夜8時過ぎ、東北の三陸海岸一帯に巨大な津波が押し寄せました。津波はすさまじい轟音と共に三陸沿岸の村々を襲いました。明治三陸大津波です。数分間隔で押し寄せた津波によって約8000戸が流失。2万2000人もの死者を出す大惨事となりました。
第九十九話 大海嘯(おおつなみ)主人公は遠野から山田町田の浜に婿入りした福二(福治)。子供にも恵まれ愛する妻と幸せな日々を送っていました。しかし、津波によって妻と子供が流されてしまったのです。一年経っても福二は妻を失った悲しみを受け入れられないでいました。
そんなある月夜の晩、浜辺で一組の男女を見かけた福二。女は亡くなったはずの妻でした。しかも、妻は別の男と一緒でした。男は福二と結婚する前に妻が好きだったと聞かされていた相手でした。福二はショックを受けました。そのまま立ち去る二人。津波で妻を亡くした上に、再会した妻の幽霊は別の男と一緒になっていたのです。
それから120年近くたった現在の山田町田の浜に福二の子孫がいます。長根勝さんは福二から数えて4代目の玄孫です。勝さんは東日本大震災で自宅を流され同時に母親を亡くし、偶然にも先祖と似たような境遇におかれました。
なかなか母の死を受け入れられなかった勝さんですが、震災から一年後、台所に立つ母親の夢を見たと言います。それは震災前のいつもの家での風景。この夢は勝さんの救いとなりました。母親の夢を見てその死を受け入れた勝さんは、その体験が先祖の物語と重なりました。福二もまた妻の幽霊を見ることで、その死を受け入れることが出来たのではないかと考えたのです。さらに、妻が昔の男と一緒にいることを望んだのも、実は福二自身ではないかと思うようになりました。
遠野物語には載っていない物語が遠野にはまだ数多くあります。人々は何世代にもわたってそれらの物語を語り継いできました。長根勝さんも娘に長根家のことを積極的に伝えようとしています。
愛する家族の思い出や愛着のある地域の歴史。人は誰でも心の中にそれぞれの物語を持っています。それを伝えていくことの大切さを遠野物語は語り続けているのです。
「歴史秘話ヒストリア」
妖怪と神さまの不思議な世界
~遠野物語をめぐる心の旅~
この記事のコメント
すごい!遠野市に伝わるでん説って本当にあるんだ!