グスタフ・マーラーの「アダージェット」は、41歳で結婚したマーラーが若き新妻にささげた音楽です。しかし、彼が描いたのはありふれた幸せとはかけ離れた世界でした。
新妻に宛てた音楽のラブレター
マーラー作曲の交響曲第5番 第4楽章「アダージェット」奏でるのは弦楽器とハープだけです。この曲について貴重な証言を残しているのが指揮者のウィレム・メンゲルベルクです。彼の楽譜にはこんな覚え書きが。
「アダージェット」はマーラーが妻アルマに宛てた愛の証しであった。彼は手紙の代わりにこの曲の楽譜を送ったのだ。
幸せな結婚がきっかけで生まれた曲が「アダージェット」なのです。
マーラーが活躍したのは19世紀末のウィーン。ヨーロッパ最高峰のオペラ劇場で指揮者をつとめていました。才能にあふれ、36歳の若さでこのポストにつきました。
しかし、音楽を愛するあまり職場の雰囲気は悪くなるばかりでした。歌手や楽団員に理想をおしつけ、気に入らなければ次々とクビに。「血も涙もない悪魔」と呼ばれていました。
休みの日は部屋にこもって作曲に没頭。女性との浮いた話もなく40を過ぎても独身でした。
そんなマーラーの人生を一変させる出来事が起こりました。パーティーで同席したのはウィーン随一の美女アルマ・シントラー。宮廷画家の家に生まれ、気品や教養も兼ね備えていました。恋愛には奥手なマーラー。それでも、彼女の笑顔につい惹き込まれました。
「ここで一緒に笑っちゃいけませんか?」
ぎこちない一言から始まった2人の関係。19歳も年が離れていながら、彼女が作曲を学んでいたことから次第に意気投合。アルマの運命の人と見定め、マーラーは毎日のように手紙をしたためました。
美しいものが胸いっぱいに広がり夢にまで入り込んできました。
(1901年11月28日)
私は生まれて初めて恋をした!
(1901年12月15日)
出会って4か月、二人は結婚しました。マーラーは41歳でした。
そして、作曲途中だった交響曲第5番に急遽一楽章加えることにしました。それが第4楽章「アダージェット」です。生まれて初めて味わった感情をマーラーが想いのままに表現した生涯唯一の愛の調べです。
マーラーが描いた真の願い
アダージェットは人それぞれ様々な解釈ができる不思議な曲です。
マーラーが生まれたのはチェコの貧しい農村。父はとても暴力的で妻に手をあげ、子供たちを鞭打ったと言います。弟が心を病み、ピストル自殺するなど10人もの兄弟が若くして亡くなるという異様な環境でした。生前マーラーはこう話しました。
死は物心ついて以来、私に付きまとって離れなかった問題だ。
(グスタフ・マーラー)
「葬送行進曲」「亡き子をしのぶ歌」「死んだ鼓手」など、マーラーの作品には死をテーマとした曲が数多くあります。
精神医学の立場から、この曲に妻とは別の人物の影を感じている人もいます。
病弱で足が不自由だったマーラーの母。夫の暴力におびえやつれ果てた末、52歳で亡くなりました。
いつも悲しげだった母を労り慈しんだマーラー。幸せな新婚生活もつかの間、マーラーは妻に亡き母の面影を強く求めるようになりました。彼女を生きがいだった作曲を禁止し、華やかな社交の場に出ることさえ否定したのです。
マーラーを診察した精神科医のジークムント・フロイトは、こう言ったと言います。
あなたは母を愛し、あらゆる女性に母と同じタイプを探し求めてこられた。そんな状態で若い奥さんをつなぎとめておけると思うのですか。
(ジークムント・フロイト)
結婚から8年、夫婦生活に耐えられなくなったアルマは若い青年との不倫に走りました。妻との関係を修復できぬまま、マーラーはその1年後、50歳でこの世を去りました。
不幸に終わった結婚生活。その始まりに生まれた奇跡の一曲が「アダージェット」なのです。
「ららら♪クラシック」
マーラーのアダージェット
~絶望の果てにつかんだ愛の世界~
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