2018年1月30日、元フジテレビアナウンサーの有賀さつき(ありがさつき)さんが52歳の若さでこの世を去りました。
帰国子女&名門校出身のお嬢様育ち
1965年、有賀さつきさんは愛知県名古屋市で生まれました。5歳から8歳までニューヨークで生活し、高校は都立九段高校へ。1988年にフェリス女学院大学を卒業しました。
女子アナ像を次々破壊
時はバブル全盛期、有賀さつきさんは敏感に時代を感じ取り絶頂期を迎えていたフジテレビに入社。フジテレビの女子アナウンサーとして大ブレイクを果たしました。
当時はまだアナウンサーといえばお堅いイメージがあった中、同期入社だった八木亜希子さん、河野景子さんとともに「花の三人娘」と呼ばれ、多くの番組に若くして抜擢されました。
有賀さつきさんはバラエティに進出し、旧中山道を「きゅうちゅうさんどう」と読み間違えるエピソードを残すなど超天然キャラとして人気になりました。
さらに、お堅い女子アナ像を次々と破壊し世間を騒がせました。アナウンサーでありながら自宅を公開。さらに、プライベートで乗っていたトヨタカリーナEDを披露。そして、ゴルフに飲み会三昧と仕事以外のオフの素顔も公開。プライベートを初めて世間に公開した女子アナでした。
突如退社の真相
入社5年目、有賀さつきさんは人気絶頂の中フジテレビを退社しました。
当時はまだフリーになる女子アナウンサーがあまりいなかった時代に突然フジテレビを退社。すると、その直後にテレビ朝日の「ミュージックステーション」のアシスタントに抜擢。フリーとなって活躍するアナウンサーの先駆者となりました。
不倫 芸能界を干された釈明会見
フリーになって3年後、29歳になった有賀さつきさんは不倫報道で世間を騒がせました。妻子ある男性との不倫が発覚しましたが、世間が何より驚いたのはその釈明会見でした。
正直な自分の気持ちを嘘偽りなく口にした有賀さつきさん。しかし、この会見が開き直りととらえられ世間は大バッシング。不倫関係は破局し、そのご数年間有賀さつきさんは芸能界を干されることになりました。
元上司と結婚&妊娠も… スピード離婚
ところが、有賀さつきさんはさらなる衝撃で世間を驚かせました。2002年、13歳年上の元上司と結婚と妊娠を発表。この結婚を機に有賀さつきさんは芸能界に復帰。自身の結婚をネタにして次々とメディアに出演し円満な家庭をアピールしました。
しかし、わずか4年後にスピード離婚。円満アピールからわずか4年でシングルマザーになりました。離婚会見で有賀さつきさんは驚きの発言をして世間を驚かせました。
こうしてシングルマザーとなった有賀さつきさんでしたが、離婚会見から3日後「サンデー・ジャポン」の突撃リポーターに。これまでのお嬢様イメージと正反対の体当たりリポートを見せるなどキャラが激変。泥臭い仕事もするようになりました。
インテリ芸能人に転身 知られざる裏側
さらに、有賀さつきさんは漢字検定準一級を取得し、漢字の女王と呼ばれ、まさかのインテリ芸能人に転身しました。
こうした努力もあってクイズ番組ではお馴染みの顔になり、見事な返り咲きをみせました。充実した人生を送っていると思われていました。
シングルマザー 介護 壮絶な私生活
しかし、50歳の時に母親が他界。一人娘だった有賀さつきさんは、自らの子育てにくわえ父の介護も引き受けるように。当時の苦労をブログにつづっています。
まあ、とにかく、
怒涛の日々でして。。。育児、介護、仕事。シングルペアレント。
いつごはんを食べたかな?
何時間寝たかな?生活を見直したら、
涙が滲んてきました。いつの間にか
疲弊していたみたいです。
彼女の体は実はこの頃から病魔に蝕まれ始めていたとされ、痩せていく有賀さつきさんの体にネット上では「頬がこけている?」「ダイエットに失敗?」と様々な憶測が書き込まれました。
知人への生前最後のメール
そんな中、生前最後に有賀さつきさんと連絡をとった女子アナが元フジテレビアナウンサーの松田朋恵さんです。松田さんはことあるごとに講演や司会の仕事を有賀さつきさんに紹介するなど公私共に交流がありました。
ところが2017年10月、2人の関係に異変が。松田さんはいつものように有賀さつきさんにイベントの司会を紹介しようとメールを送信しました。有賀さつきさんからの返信は…
朋恵さん
いつもお声がけ
ありがとうございます
でも実は私今ある
わずかな仕事を
整理して
年内いっぱいで活動を
お休みする
予定なんです
親のことがありまして
有賀さつきさんのただならぬ様子を察し、松田さんはすぐに電話をかけました。
報道によると有賀さつきさんは言葉通り全ての仕事を整理し、何人ものプロデューサーが出演依頼の連絡をしても音信不通の状態が続きました。
病を隠したった一人で迎えた最期
そんな中、有賀さつきさんは銀行口座を全て整理したと報道されるなど、たった一人で人生の終活をすすめ、ついに体が悲鳴をあげると実の親にも病名を明かすことなく検査とだけ言い残し入院。死の数時間前には自らの足でトイレへ行きました。
親族たちは亡くなるとは思っていなかったため、病院に集まることはなく有賀さつきさんは病室のベッドで一人静かに息を引き取りました。看護師にだけ最後に伝えたという言葉は…
「娘のことが心配です。よろしくお願いします。」
2018年1月30日、有賀さつきさんはたった一人で死を迎え、その亡くなり方によっても世間を驚かせました。
「爆報!THEフライデー」
この記事のコメント
バブル世代は弱々しいババアが多いよな。今の70代婆さんが強かったみたいだよ。