サリドマイド事件50年 ~薬禍の歳月~|ETV特集

50年前、妊婦が服用した薬が原因で、重い障害をおった子供が次々と生まれました。サリドマイド薬害事件です。全国で300人を超える子供たちが被害者と認められました。

 

事件をめぐる裁判は10年争った末、国と製薬会社が責任を認め和解に至りました。しかし、和解が事件の終わりではありませんでした。今、50代になった被害者はこれまでにない体の異変に襲われています。

 

2014年、国は和解以来初めて健康問題について大規模な実態調査の結果を公表しました。目に見える奇形にとどまらない内臓や骨などの異常、無理な体の使用による二次障害の多発が指摘されました。被害者は今も薬害を背負って生きているのです。

 

サリドマイド剤は西ドイツの製薬会社が開発し1957年、睡眠薬として製造・販売を開始しました。それまでの睡眠薬と違って安全で習慣性がないと宣伝されました。その翌年、日本の製薬会社もサリドマイド剤の製造販売に乗り出しました。

 

しかし、その頃ドイツでは異変が起き始めていました。薬を服用した妊婦から手足が欠損した子供が相次いで生まれたのです。販売開始から4年、ドイツでは薬の影響を疑った科学者の報告によって販売停止・回収が決まりました。

 

しかし、日本では迅速な対応はとられませんでした。国や製薬会社が薬と障害の因果関係を認めなかったのです。結局、全面的な販売中止が決まったのはドイツの10ヵ月後。薬の回収も決定されず一部はそのまま販売され被害を拡大させました。

 

千葉県松戸市に暮らす増山ゆかりさん(51歳)は就職のため18歳で北海道から東京へ。以来30年、一度も故郷には帰っていません。今は夫と犬、6匹の猫と共に生活しています。増山さんが生まれたのはドイツで出荷停止が決まった2年後の1963年。両腕の欠損と心臓の異常のため生後まもなく北海道から東京の施設へと送られました。増山さんに転機が訪れたのは7歳の時。心臓の病が落ち着き家族の元に帰ることになったのです。

 

山口県に暮らす中野寿子さん(55歳)は両腕と両足の大部分を欠損した状態で生まれました。薬害の情報がなく障害の原因が分からなかった幼少期。中野さんは世間の目から逃れるように日々を過ごしたと言います。中野さんは、障害を理由に小学校への進学が受け入れられず、全てを家族だけで背負うことになりました。

 

北海道に暮らす市川昌也さん(53歳)は両腕の大部分がない状態で生まれました。幼い頃から施設を転々とし、いくら待っても市川さんを訪ねてくる家族はいませんでした。市川さんは昭和36年7月、札幌市の乳児院の玄関前に置かれていました。出生の事実を初めて施設の職員から告げられたのは、10歳の時でした。

 

一部の被害者とその親たちが、国と製薬会社を相手どり責任の明確化と損害賠償を求める裁判を起こしました。しかし、国と製薬会社は薬と障害の因果関係を認めず裁判は長期化。そして裁判が始まって10年、国と製薬会社はその責任を認め裁判は和解に至りました。和解で決まった賠償は裁判に参加しなかった子供にも適用され、全国で309人が被害者と認められました。

 

北海道に戻った増山ゆかりさんも被害者として認められ、賠償金を受け取りました。しかし、増山さんの父は、そのお金を足がかりにして新たな事業を始めました。事業はうまく行かず、間もなく父と母は離婚。母は家を出ていきました。父の事業も失敗し姿を消しました。

 

増山さんは高校卒業と同時に北海道を離れ、東京の障害に理解のある会社に就職し自立への道を歩み出しました。26歳の時、夫・雅一さんと結婚しました。雅一さんの提案で結婚の報告をするため行方知れずの両親を探そうと考えました。再会を果たした父は関東の病院で死の淵にありました。そして、父の死をきっかけに母とも再会を果たしました。しかし、その母も間もなく病に倒れました。

 

被害者たちはサリドマイドの当事者団体を通じて結びついています。公益財団法人いしずえは、和解をきっかけに誕生。2014年に設立40年を迎えました。当初、親たちが中心だったいしずえの運営は今は当時の子供たちが担うようになっています。増山さんは2年前から事務局長をつとめています。この40年、社会の中でそれぞれに自立の道を掴もうとしてきた被害者たちですが、50代となった今、彼らは新たな壁に直面しています。

 

広島市に暮らす佐藤育子さん(54歳)は親指の一部を欠損した状態で生まれました。思わぬ異変が始まったのは大手企業の正社員としてキャリアを重ねていた6年前。精密検査によって手首の骨の一部欠損など、これまで知らなかった障害が判明しました。それにより萎縮した筋肉が長年の使用で腫れ上がり神経を圧迫したことで痛みが出たのです。手術で痛みは和らいだものの以前のようには働けず会社を退職しました。

 

被害者の体に何が起きているのか2014年、国は3年に渡って被害者の健康状態や生活状況を調査した結果を公表しました。最新の医療機器による70人以上の検診と、200人を超える被害者へのアンケート調査が行われました。

 

調査では新たな発見が続出しました。頚椎の一部が癒合する塊椎が約10%の被害者に見つかったのです。さらに先天性の無胆のう症も13%、その他にも心肺内部の奇形は多岐に及び、これらはサリドマイドの影響が推察されました。また障害のある部位をかばうため無理な体の使用によって生じた二次障害も明らかになりました。

 

40年前、被害者と国・製薬会社の間で交わされた和解確認書には今後新たな障害が発生した場合の対応について「現時点で予測しえない新たな障害が生じた時は当事者が誠実に協議し解決する」と書かれています。いしずえはかつて被告だった国・製薬会社と年に1度協議の場をもうけています。被害者の一部は裁判で得た賠償金を年金化し受け取っています。その制度の円滑な運用が例年の議題でした。2015年、いしずえは相次ぐ二次障害の訴えを受け問題にどう向き合うべきなのか国に見解をただしました。

 

世界では今サリドマイド被害の見直しが進められています。40カ国以上で販売され被害を広げたサリドマイド。薬を開発したドイツでは世界最大3000人が被害者と認められています。2013年、法改正によって被害者の年金が最大月額1200ユーロ(約16万円)から7000ユーロ(約94万円)へと大幅増額となりました。法改正の実現は長年の被害者の訴えを受けてのことでした。被害者たちは50代になって新たな障害に直面している姿を社会に訴え始めたのです。訴えは大きな反響を呼び、ドイツ連邦議会は実態調査を大学に依頼。約900人の被害者が調査に協力しました。

 

国はさらに3年、被害者の調査の継続を決めました。薬害は被害者の人生に何をもたらしたのでしょうか。そしてそれは償うことができるのでしょうか。

 

「ETV特集」
薬禍の歳月
~サリドマイド事件・50年~

この記事のコメント

  1. 大倉トシエ より:

    ドイツと日本の補償金の差に驚きました。ドイツの例は少し特別としても日本の政府はもう少し金額を上げるべきだと思います。
    所で中野さんとおっしゃる方でしたでしょうか?綺麗な絵を描いているのは。あの様な特技を持っている方には展覧会など各地で無料で開ける様になっていれば良いのにと思います。