赤ちゃんを救う奇跡の血液を持つ男性|ザ!世界仰天ニュース

1930年代、第一子は無事に生まれたのに、第二子が無事に出産できないという悲劇が世界各国で起きていました。しかし、この謎はある偶然により解明されました。

1978年、アメリカで帝王切開手術が行われていた時に輸血が必要となり、妻と同じ血液型であるO型の旦那の血液を輸血したところ異変が起きました。O型同士なら問題はないはずなのに、血液型不一致による副作用と同じ症状がみられたのです。

医師は念のため妻の血液と夫の血液を混ぜ合わせてみました。すると凝集反応をしめしました。他の人から採取したO型の血液とも混ぜ合わせてみたところ、約80%で凝集反応をしめし20%は凝集反応を示しませんでした。

フィリップ・レヴィン医師は研究を重ね、血液型にはそれまで知られていたABO型を分ける抗原の他に未知の抗原があるのではないかという結論に達しました。

その頃、アレクサンダー・ウィナー氏とカール・ランドシュタイナー氏がその答えを発見しようとしていました。赤血球に存在する新たな抗原「D抗原」です。医師たちはD抗原の有無によって分類される血液型をRh式血液型と名付けました。

帝王切開手術を受けた夫婦の場合、同じO型同士であっても夫がD抗原を持つRh+、妻はD抗原を持たないRh-だったため凝集反応が起きたと考えられました。

さらなる研究で、Rh-の血液中にRh+の血液を攻撃する物質があることが発見されました。この物質こそ第二子が無事に生まれない原因そのものだったのです。

日本人ではRh-の人は0.5%くらいしかいないが、欧米では20%程いる。

第二子が無事に生まれないのは?

Rh-のお母さんのもとにRh+の赤ちゃんがいると、赤ちゃんはD抗体を持っています。妊娠中の胎盤では母体と胎児の血管はつながっていないので大丈夫ですが、出産のときに胎盤の血管が切れたりすることで胎児の血液が母体に入りこみます。すると、72時間後に母体がD抗原を認識して抗D抗体を作り出しD抗体を攻撃します。

このように第一子までは問題ないのですが、第二子を妊娠した時に赤ちゃんがRh+だった場合、お母さんの体の中に抗D抗体があるので赤ちゃんのD抗体を攻撃してしまうのです。この母親がRh-で胎児がRh+であることによって起こるこの症状は「新生児溶血性疾患」として広く知られるようになりました。

Rh-の血液型が人口の20%を占めるオーストラリアでは、新生児溶血性疾患が大きな問題でした。1965年、ニューサウスウェールズ州では96人もの赤ちゃんが血液型不適合で死亡してしまいました。

血清作り

そこで、第一子を出産したことのあるRh-の女性から血清が作られました。それが「抗Dヒト免疫グロブリン」です。

お母さんの体の中に出産後72時間以内に血清「抗Dヒト免疫グロブリン」を注射することで防げることが分かったのです。人工的に作った抗D抗体を入れると、抗D抗体がD抗原を攻撃するので両方とも消滅します。血清の抗D抗体は体内に残ったとしても数日で消滅すると言います。

この血清のおかげで第二子の出産も安全になっていきました。ところが、出産が安全になったことで抗D抗体を持っている女性が少なくなり血清が足りなくなってしまいました。

そんな中、献血者のデータからある人物の存在が確認されました。それは抗D抗体を持つ男性ジェームズ・ハリソンです。抗D抗体は生まれながら持つことはないのになぜでしょうか。

赤ちゃんを救う抗D抗体を持つ男性

ジェームズ・ハリソンは子供の頃から体が弱く、肺炎のため気管支拡張症になってしまいました。片方の肺を取る手術を受け、その時に3リットルもの輸血を受けました。大人になったジェームズは子供の時の恩返しのために献血へ。

最初の献血から12年、ジェームズの血液は注目を浴びることになりました。肺の手術でRh-のジェームズの体に3リットルものRh+の血液が入りジェームズは抗D抗体を大量に持つ体になったのです。

ジェームズはそれまでの普通の献血から抗D抗体が含まれる血しょうのみを取り出し残りを体に再び戻す成分献血に切り替えました。血しょうだけなら3日で回復するため、10日に一度の献血を行うようになりました。こうして血清が作られるおかげで血液型不適合で亡くなる子供は減少しました。

2003年、67歳になったジェームズさんは献血回数世界一に認定されました。その後も献血を続け、これまでの献血回数は985回だそうです。

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