現在、日本に1万箇所以上あると言われる限界集落。それは住民の半数が65歳以上の高齢者で、そのままでは消滅する恐れがある集落のことです。
能登半島の付け根に位置する石川県羽咋市(はくいし)に、そんな限界集落から脱した奇跡の集落があります。かつて高齢・過疎化に歯止めがかからなかった神子原(みこはら)地区は今、人が沢山集まりだしました。
その立役者は羽咋市の市役所職員である高野誠鮮(たかのじょうせん)さんです。人呼んでスーパー公務員。高野さんは地元の米をPRするため、それを世界で最も影響力のある人物に食べてもらうという大胆な作戦に出ました。高野誠鮮さんが笑顔にしたい人は神子原の米を作っている生産者です。
石川県羽咋市神子原地区は今、全国の農業関係者からの視察が絶えない画期的な米作りが行われています。その画期的な米作りというのは自然栽培農法。その土地で収穫した稲藁・米ぬかだけを肥料にした完全無農薬の農法です。国連が認める世界農業遺産にも登録された注目の農法です。
この米作りを推進しているのが羽咋市役所職員の高野誠鮮さんです。高野さんは江戸時代から続く、由緒ある寺の住職でもあります。30歳の時、実家の寺を継ぐために東京からUターン。羽咋市の職員となり最初に与えられた仕事は町おこしでした。
そこで高野さんは「能登半島は宇宙の出島」という町おこし構想を考えました。そして、羽咋市に宇宙をテーマにした本格的な博物館「コスモアイル羽咋」をオープンさせました。人口2万5千人の町に年間10万人近い人が集まり、UFOで町おこしは大成功しました。
次に高野さんが任された仕事は限界集落の解消です。それは市の南東、神子原地区にある集落でした。住民の54%が65歳以上の高齢化が進む地域でした。神子原地区の限界集落には、豊かな自然がありあまる程あります。
高野さんが目をつけたのは米でした。良質な水にも恵まれ、大量ではないが美味しいお米が育つと地元でも評判の地域でした。神子原地区の米をブランド化すれば限界集落を脱する突破口になるのではないかと高野さんは考えました。
そして、農協を通さず高値で米を買ってもらえる独自のルートを確立しようと動きました。しかし、生産者は猛反対。高野さんの米ブランド化計画に賛成したのは169軒中たった3軒でした。
高野さんは自分の出来ることから始めました。今まで石川米と呼ばれていたものを神子原米(みこはらまい)とネーミング。有名な書道家に袋の文字も書いてもらいました。
次に神子原米を誰か有名な人物に食べてもらおうと考えました。高野さんが目をつけたのはローマ法王(ベネディクト16世)でした。高野さんはバチカン市国へ直接手紙を送りました。数ヵ月後、バチカン市国の大使館から「明日東京に来て欲しい」と電話がありました。そしてバチカン市国の大使館に出向き神子原米を献上。高野さんの情熱が奇跡を呼んだのです。
北陸の小さな町の快挙はすぐに様々なメディアに大きく取り上げられました。こうして神子原米は通常の2倍の価格ながら全国から注文が殺到する程の人気を獲得。去年の秋に収穫した米は春には完売。現在、地元の直売所で唯一おにぎりとして味わうことができます。それも連日午後には売り切れてしまうほどです。
当初、米のブランド化に反対していた農家の人たちも高野さんを認め始めました。こうして神子原米は名実ともに一大ブランドとしての地位を確立しました。
高野さんは移住者を増やすために、移住希望者に面接をするという方式をとりました。そのため、移住した12世帯35人が一人も出て行くことなく定住しています。
こうして神子原地区は限界集落から脱することに成功。農業に興味のある若者も頻繁に訪れ活気のある集落に生まれ変わりました。
「夢の扉+」
限界集落を救ったスーパー公務員
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