井伊直虎 ~おんな城主 直虎のイロハ~|歴史秘話ヒストリア

NHK総合テレビの「歴史秘話ヒストリア」でおんな城主 直虎のイロハが放送されました。

 

なぜ直虎はおんな城主に?

井伊直虎(いいなおとら)は井伊谷城城主の家に生まれました。一人娘だった直虎には許婚がいました。同じ一族の井伊直親(いいなおちか)です。未来は定まっているはずでした。ところが、直虎が10歳の時、許婚の直親が突然行方不明になってしまいました。誰も直親の行方について教えてくれませんでした。直親は死んでしまったと思った直虎は髪をざっくり切って出家しました。

許婚の冥福を祈る日々を送っていた直虎ですが、10年程経ったころ井伊直親が帰ってきたのです。実は直親は命を狙われていました。そのため井伊谷をひそかに離れ、しばらく逃亡生活を送っていたのです。愛する人と涙の再会のはずでしたが、直虎は出家してしまったので結婚も恋も禁止の身でした。しかも、直親は他の女性と結婚し子供も生まれました。

当時、井伊家は駿河国の大名・今川義元に従っていました。その義元の命で隣国・尾張の織田信長との戦いに加わりました。この戦の最中、直虎の父が討ち死にしてしまったのです。後を継いだ直親も今川家に謀反を疑われ暗殺されました。井伊家の男たちは誰もいなくなってしまったのです。そのため次の城主に担ぎ出されたのが直虎でした。

永禄8年(1565)年、直虎は女性の城主となりました。この時30歳。長い歴史を持つ井伊家を守るため重い役目を引き受けたのです。

 

直虎ピンチ!どう切り抜ける?

永禄9年(1566年)、今川家から領民の借金を帳消しにする徳政令を出すように命令されました。しかし、これはおかしな命令で直虎は納得がいきませんでした。確かに徳政令が出れば領民たちは借金ゼロとなり大喜びですが、お金を貸した商人たちは大きな損を出し破産してしまいます。直虎も金を借りる先がなくなり破綻へ真っ逆さまです。これこそ、今川家の本当の目的でした。井伊家の領地を窺っていた今川家中の一派が直虎と井伊家を兵を動かすことなく潰そうと企んだ陰謀でした。

直虎はいっこうに徳政令を出しませんでした。裏で直虎が進めていたのは借金を帳消しにされ損をする商人たちを救う対策でした。直虎は商人たちに、例え徳政令が出てもすでに借金の形にとっている土地や財産の一部は返さなくて良いという書付を渡しました。直虎は城主の権限で商人たちが丸損しないよう巧みに図ったのです。

こうして直虎は今川家、商人、領民それぞれに対して入念に策を講じました。準備が全て整うと徳政令を出しました。直虎の緻密な対策によって今川家が期待した破綻は起こらず、逆に直虎と領民たちの絆が強まりました。

しかしその後、直虎は巧みな政治手腕が仇となり今川家から警戒され城主の座を奪われてしまいました。

 

家を守れ!どん底からの復活

今川家に城を奪われ龍潭寺で無念の想いを抱いていた直虎ですが、事態は一変しました。今川家が隣国の大名たちに攻められ瞬く間に滅亡したのです。井伊谷には当時急成長の大名・松平家康(後の徳川家康)の軍勢が入ってきました。直虎は家康の家臣となる作戦にでました。徳川家の一員となって城主の座を取り戻すことにしたのです。とはいえ、女性の直虎ではおそらく仕官させてくれません。そこで直親の息子・虎松(8歳)に徳川家への就職と井伊家の復活をかけました。虎松は愛知県の鳳来寺で猛勉強させられたと言います。さらに直虎は虎松の母を再婚させました。相手は家康にあつく信頼されている徳川家の家臣・松下源太郎でした。7年後、虎松の就職活動が始まりました。

その日は、徳川家康が鷹狩りに出かける日でした。鷹狩りを満喫し一休みしていた時、直虎と虎松は徳川家康に会いに行きました。普段なら大名の家康にアポなしで会うなど絶対に出来ません。直虎は前もって情報を収集し、鷹狩りの家康はご機嫌なのでハードルも下がるとよんでいました。家康は虎松に会った時、「ただ者ではないと感じた」と記録されています。虎松ははれて井伊の名で家康の家臣となりました。

 

その後、虎松は名を井伊直政(いいなおまさ)と改めたちまち頭角をあらわしました。期待にこたえ合戦では力戦奮闘。凄まじい戦いぶりは「井伊の赤鬼」と恐れられました。そんな直政の活躍を故郷・井伊谷で見守っていた直虎は天正10年(1582年)に47歳で亡くなりました。龍潭寺にあるその墓はかつて愛した許婚・直親に寄り添うように並んでいます。

それから20年後の関ヶ原の戦い。徳川軍の先陣を切った直政が掲げた「井」の字の旗印。直虎が懸命に守った井伊家の誇りです。それは忘れられることなく子孫に受け継がれました。江戸時代、彦根35万石の大名となった井伊家。歴代の藩主たちは大老など徳川幕府の要職をつとめました。その一人が幕末の井伊直弼(いいなおすけ)です。桜田門外の変で暗殺された直弼は直虎から数えて13代後の当主です。


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