葛巻町を変えた仰天アイディア くずまき高原牛乳&葛巻ワイン|アンビリバボー

岩手県の北部に位置する葛巻町は、鉄道も高速道路のインターチェンジもなく温泉などの観光資源もない町でした。若者たちは都会へと離れ、人口はここ40年で半分にまで減少。町の財政は困窮を極めていました。

ところが、そんな葛巻町に今立派な施設が次々に建設されとても過疎の町とは思えないほど活気がみなぎっています。一体この町に何があったのでしょうか?そこには絶体絶命の町を救った2人の男たちの郷土への深い愛がありました。

葛巻町を変えた仰天アイディア

1980年、地元の町役場に就職した中村哲雄さんは公営牧場を経営する畜産公社に出向していました。畜産は町の産業ではありましたが、それだけでは生活できず農家の多くは出稼ぎへ。そんな現状に中村さんは胸を痛めていました。

一方、町役場の後輩にあたる鈴木重男さんは、林業課に配属されました。当時、地元の人間は葛巻出身ということを隠す傾向にあったと言います。中村さんと鈴木さんは現状を何とかしたいと思っていましたが、どうして良いか分かりませんでした。

牛の保育ビジネス

畜産公社では2つのビジネスを行っていました。

  • 肉牛を育てて売る
  • 地元の酪農家から搾乳できるようになるまで子牛を預かり料金を貰う

ある日のこと、関東の酪農家から子牛を育てて欲しいと電話がかかってきました。

ビジネスになればいい、プラマイゼロでいいと。赤字にしないように、ならなければいい。働く場所が出来るじゃないですか。働く場所を作りたい。全てそうです。

(中村哲雄さん)

牛の保育ビジネスを始めた中村さんは、県外への出張のたびに酪農家をまわり宣伝につとめました。すると、1頭につき1日500円という預かり料の安さも手伝い、徐々に全国から子牛が集まるようになりました。

ワイン造り

一方、鈴木さんはワイン造りを新たな産業にしたいと言われました。野山に自生するヤマブドウは葛巻の特産品ではありましたが、酸味が強くワインには適さないと考えられていました。

鈴木さんは東京の農業科学化研究所に研修に行くことになりました。厳しい修行中、十勝に行くように言われました。北海道・十勝の池田町は日本で初めて自治体経営によるワイン醸造を手掛け、町おこしに成功したことで知られていました。

十勝で鈴木さんが見たのは、いたる所にワイン関連のものが溢れ観光客で賑わう活気ある町でした。池田町では役場の職員を海外へ派遣。ワイン造りの技術を習得させるだけでなく、ブドウの品種改良を何年も積み重ねようやく商品化にこぎつけていました。

2年後、葛巻町に戻った鈴木さんは地元農家の協力を得て、ヤマブドウの栽培を始めました。そして町民や企業を説得し、ワイン工場設立のため1口5万円で出資者を募りました。4年後、町の一角に葛巻ワイナリーが完成しました。

くずまき高原牛乳

中村さんが始めた乳牛を預かるビジネスは順調に顧客を増やし、いつしか肉牛ビジネスとともに主力事業になっていました。しかし、大きな壁が立ちはだかりました。牛舎が足りなくなってしまったのです。1つの牛舎を作るには数千万円必要です。もともと資金繰りが厳しい公社にそんな余裕はありませんでした。

そこで中村さんは廃材や古い電柱などを利用し全て手作りで牛舎を作りました。こうして牧場は牛を増やし続け年間3億6500万円を売り上げるまでになりました。また、これにともない雇用も生まれUターンしてくる者も現れはじめました。さらに、町の外から葛巻で働きたいという若者も。

ところが、牛肉の輸入が自由化され肉牛の価格が半分にまで落ち込んでしまいました。これにより牧場経営は一気に赤字に転落。そこで中村さんは儲からない肉牛事業を縮小し、乳牛の保育ビジネスを拡大。さらに新たな雇用を生み出すため全く新しい事業を始めました。それは牛乳の製造でした。

実は、これまで葛巻でも牛乳は製造されていたのですが、その工場の本拠地は関東にありました。そのため、どれだけ売れても儲けのほとんどは県外の工場が得ていたのです。

そこで、中村さんは葛巻で牛乳の製造から販売まで全て行おうと考えたのです。とはいえ、素人が簡単に牛乳を作れるはずがありません。中村さんは日本各地の牛乳工場をまわり教えをこい続けました。

そして5年後、町と民間会社が共同出資をした牛乳工場が完成。これにより、牛乳販売による利益を町が得ることが可能になりました。こうして「くずまき高原牛乳」が誕生。しかし、品質にこだわったため値段は普通の牛乳の倍以上になってしまいました。それでも、くずまき高原牛乳は一流デパートの棚に並ぶことになりました。

この新規事業が功を奏し、経営は再び黒字に転換。さらに100名を超える雇用を生み出すことに成功しました。

葛巻ワイン

そんな中村さんの姿を見ていたのは鈴木さんでした。実は、ワイン工場建設中に異動となり畜産公社に勤務。中村さんの手腕に大いに刺激を受けていました。しかし、鈴木さんが離れている間にワインの酸味の強すぎ美味しくないという理由で業績不振から借金が増大していました。

ワイン事業を担当する公社に戻った鈴木さんがまず始めに行ったのは徹底した経費節減でした。さらに、鈴木さんは職員たちに世界各国のワインの試飲をさせました。そもそも葛巻の人たちはワインをあまり飲みません。試飲中、白ワインはジュースみたいに甘くて美味しいという意見が。ブドウは発酵させると中の糖分がアルコールに変わります。もともと甘酸っぱいヤマブドウは特に酸味が強くなってしまいます。

そこで、鈴木さんは糖分を補うため発酵させていないヤマブドウのジュースをワインに加えました。そして100%ヤマブドウだけで作られた飲みやすいワインが完成したのです。しかし、新しいワインの営業を始めると、酸っぱくて評判が悪いため置けないと言われてしまいました。そこで鈴木さんは、客として酒屋を一軒一軒まわり葛巻ワインを注文したのです。

私は1本しか注文しない。卸屋さんは12本1ケースを納める。すると11本余るから酒屋さんも11本は誰かにうってくれる。

(鈴木重男さん)

さらに、鈴木さんは毎月ワインパーティーをやることにしました。町の人々の家を訪ね、パーティー券を売り歩きました。しかし、ワインへの抵抗は強くパーティー券は思ったように売れませんでした。それでも職員たちの努力が実を結び、回を重ねるごとに参加者も増えていきました。いつしか、定員が120人のホールでは入らなくなるほどになっていました。

こうして葛巻のワイン事業は4年で1億1000万円の赤字を解消。今では1億円を超える累積黒字を計上し、町の活性化に貢献しています。さらに、ワイン工場やブドウの栽培農家など多くの雇用を創出することに成功。働く場が増えたことで町への定住者も増えています。

一方、中村哲雄さんは酪農関係の事業を成功させた後、町長選に立候補し見事当選。1999年、葛巻町の町長になりました。その後、風力発電などクリーンエネルギー事業を推進。さらなる町の発展のために尽くしました。そして町長を2期8年つとめた後、引退。その任務を引き継いだのは鈴木重男さんでした。

誰もが自分の住む町に誇りを持てる、葛巻は良い町だと、みんなで一緒に暮らそうよ、葛巻にいらっしゃいと誰もが誇りを持って言えるような、そういう町になれば良いなと。

(鈴木重男さん)

私は鈴木町長がどんな町づくりをしていくのか見るのが楽しみ。

(中村哲雄さん)

ないない尽くしの町と呼ばれた葛巻町ですが、そこには今誇りを取り戻した人たちの沢山の笑顔があります。

「奇跡体験!アンビリバボー」

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