事件が起きたのは、終戦から3年経った昭和23年。日本経済は、戦後闇市で儲ける者と資金繰りにあえぐ中小企業が存在する混沌とした時代でした。
そんな中、一人の現役東大生が会社を設立しました。東京大学法学部3年生の山崎晃嗣(やまざきあきつぐ)です。千葉・木更津の開業医の父のもとに生まれ、裕福な家庭で育った彼は東京大学に入学後に出征。終戦後、日本医大の友人とともに中野に学生ベンチャー企業の先駆け「金融会社 光クラブ」を設立しました。
その事業内容は、金持ち相手だけでなく、一般大衆も対象にした初めての金融運用会社です。このビジネスの始まりは約10万円。それが何と4ヶ月で約3000万円に。
儲けのからくりは、まず戦後の闇市で成り上がった金持ちから高配当を条件に出資を募り、その資金を金に困っている人たちにそれ以上の高利子で貸すというもの。つまり、全く元金が必要なくお金を回し続け利子だけで儲けられるのです。
出資者への配当金は月に1割5分。つまり投資者が100万円投資すれば、月15万円の配当金が貰えるのです。年利で180%です。当時の銀行預金は年利1.83%でした。銀行の100倍儲かると光クラブのビジネスに多くの出資者が飛びつきました。
山崎晃嗣は債務者に容赦ありませんでした。暴力団を使った強硬な取り立て、時には残忍な手段も行いました。
金儲けは人間の能力を数値化する物差しです。(光クラブ取材記事より)
山崎晃嗣にとって、金儲けは自分の能力を推し量るたの手段でした。光クラブ開業から4か月後、銀座2丁目に事務所を移転。ピーク時には資産が現在の金額で1億円近くにまでなりました。
そんな山崎晃嗣には8人の愛人がいました。記事によると、喫茶店のウェイトレス、OL、キャバレーのホステスなど。さらに、社内でも自分の力を誇示するため秘書の募集とめいうって愛人面接を行っていました。
山崎晃嗣は24時間を分単位で区切り、その日の行動を細かく記録していました。その記述には女性たちと過ごした時間と感想が細かく記録されていました。さらに、○や△で記された謎の記が書かれています。○は将来のために有効に使われた時間。大学の勉強や睡眠と彼にとって必要不可欠な時間です。×はマイナスの時間。失敗したことへの反省。そして△はどうでもよいことのために費やされた時間を意味しています。
驚くことに8人の女性と会っているときに記録された評価は全て△です。山崎晃嗣にとって女性と会っている時間は、どうでも良いことに費やされたことを意味しています。彼を取材した記事には「女は道具である」という言葉もあります。
昭和24年7月、山崎晃嗣は物価統制令違反で逮捕されました。法律で決まっている利息を遥かに超える金額を光クラブは出資者に払っていると告発があったのです。しかし、山崎晃嗣は利子ではなく配当金だと主張し釈放されました。
ところが、光クラブの悪質な経営実態は税務署に筒抜けになっていました。その情報を知った約400名の出資者が激怒。一斉に返金を求めました。その額は現在の2億円に相当しました。
金の横流しで儲けていた光クラブには、手元に残っている資金はわずかしかありませんでした。一体なぜ情報が税務署に漏れていたのでしょうか?
情報を漏らしていたのは美人秘書でした。実は秘書にはもう一つの顔がありました。彼女は当時交際していた税務署員に命じられ光クラブに潜入。山崎晃嗣の恋人となり経営実態を密告していたのです。光クラブに終止符を打ったのは山崎晃嗣が「遊びの道具」として見ていた女性でした。
山崎晃嗣は青酸カリで自殺。遺書を残していました。
貸借法すべて清算カリ自殺
借金の清算と青酸カリをかけていました。
死亡することで山崎晃嗣は借金を払わなくてすんだのですが、山崎晃嗣はただ死ぬだけでなく青酸カリ自殺という手段を選びました。
「爆報!THEフライデー」
実録!東大の黒歴史 光クラブ事件
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