20世紀の初め、古代マヤ文明の遺跡から発見された水晶で作られた呪いのドクロ。人の頭蓋骨とかわらない精巧なつくり。古代には存在しないはずの技術で作られたとしか考えられない場違いな加工品オーパーツの一つと言われています。
クリスタル・スカル
星々の動きを読み、独自の暦を編み出し荘厳な石の建造物を作り、呪術を操り数多くの生贄を捧げた謎と神秘の中南米の古代文明。そこに起源を持ち、いまや世界中に散らばっていると言われているのがクリスタル・スカルです。
イギリス大英博物館にあるブリティッシュ・スカル、フランスにあるパリ・スカル、大きさ美しさ精巧さゆえに全てのスカルの頂点とみなされるヘッジス・スカル。これらクリスタル・スカルには、人類の理解を超えたパワーが秘められていると言います。世界中に散る13個のスカルを1つに集めると、いつか訪れる地球の滅亡から人類を救済できると言われています。
アメリカでは毎月13日の夜、スカルの信奉者たちが様々な鉱石で作られた100個のスカルを前に瞑想を行っています。彼らは、鉱石のスカルには世界と人の精神をつなげる特殊な力があると信じています。
「スカルは私に世界の色んな情報を授けてくれるのよ」
「私たちの精神が地球に伝わると地球のゆがみが直るのです」
(参加者の発言より)
ヘッジス・スカル
クリスタル・スカルの中でも最高のスカルは、アメリカ・インディアナ州にあるヘッジス・スカルです。ビル・ホーマンは前の持ち主から受け継ぎヘッジス・スカルを守っています。
ヘッジス・スカルは成人女性の頭蓋骨とほぼ同じ大きさで、重さは5.2kg。下あごは人と同じように動き歯、鼻、目のくぼみなどは解剖学的に正確に作られていると言われています。このスカルの前の所有者アンナ・ヘッジスは、古代マヤの遺跡で自ら発見したと証言しています。
1924年、中央アメリカの英国領ホンジュラス、現在のベリーズで16歳のアンナ・ヘッジスは探検家の父と一緒に古代マヤの遺跡を訪れていました。ある朽ち果てた遺跡の頂に登った時、光がもれる穴を見つけクリスタル・スカルを手に入れたと証言しています。
1950年代、ヘッジス親子はクリスタル・スカルを世間に発表。古代文明の奇跡の遺物として世に知られるようになりました。
1970年、水晶を電子部品として活用する研究機関でヘッジス・スカルの分析が行われました。その結果、顎と頭蓋骨は一塊の水晶を見事に切り分け作られていることが判明。また滑らかに磨かれた表面からは、道具による加工の跡がを見つけることが出来ませんでした。
古代文明においては宝石や鉱石を加工するには、まず大まかに砕いてから表面を石や木、砂などで磨いていきます。分析に当たった研究者の感想は驚くべきものでした。
古代の技術では事実上、製作不可能ということで神秘性が高まったヘッジス・スカルはアメリカやヨーロッパのメディアから取材が殺到。アンナとスカルは世界中を駆け巡りました。アンナはメディアに出るたび、自分が古代マヤ遺跡で発見したことを語り、古代マヤの技術を超えたスカルは世界的な謎として拡大していきました。
このヘッジス・スカルは水晶の石目に逆らって彫られていて古代人に作ることはできません。また、無重力状態が必要で、現代でもそんな技術はありません。一体誰がどのように作ったのか謎なのです。
(ビル・ホーマン)
こうしてヘッジス・スカルは他の2つのスカルとあわせて古代の技術ではありえない遺物「オーパーツ」と呼ばれるようになったのです。
クリスタル・スカルの分析結果
しかし2008年、事態は急展開を迎えました。アメリカ有数の研究機関スミソニアン博物館で、ヘッジス・スカルの調査が行われたのです。40年前の調査では用いられなかった走査電子顕微鏡で丹念に磨かれた表面の分析が行われました。
その結果、ダイヤモンド・コーティングの研磨機械による痕が見つかりました。19世紀末以降に登場した加工機械の痕跡と一致したのです。
同じころ、ブリティッシュ・スカルとパリ・スカルも分析が行われ、同様の加工道具で作られたことが判明。では、一体誰が何の目的でこれらのスカルを作り出したのでしょうか?
誰がクリスタル・スカルを作ったのか?
1943年10月15日、ロンドンの有名オークションのカタログにクリスタル・スカルが載っていました。それはまぎれもなくヘッジス・スカルでした。さらに翌年、アンナ・ヘッジスの父ミッチェル・ヘッジスが出品した美術商からスカルを購入した記録が残っています。
1950年代 ヘッジス親子が所有を公表
1944年 アンナの父が美術商から購入
古代マヤ遺跡での発見という話は明らかに矛盾しています。
アンナはクリスタル・スカルを発見したどころか当時マヤ遺跡に行ったというのも嘘です。実際にその時期に調査を行っていた学者たちの写真に、アンナやクリスタル・スカルは1枚も写っていません。大発見があったのに証拠が全く存在しないなんてありえませんよ。
(CSICOPメンバー ジョー・ニッケル)
では一体クリスタル・スカルはどこから来たのでしょうか?
スミソニアンなどの研究者が3つのスカルの取引記録を徹底的に辿ったところ、ユージン・ボバンという人物にたどり着きました。19世紀末、フランスのパリにいたユージン・ボバンは、メキシコの古代遺跡からの発掘品をコレクターや博物館に売っていました。学者の肩書きを持ち、時のメキシコ皇帝と仲が良いことをいかし2000点以上の品々を収集。フランスに持ち込んでいました。
当時、欧米では中南米の古代文明のブームが起きていました。ボバンはその熱気の中、偽造品を本物に混ぜて売っていたと言います。このころ作られたクリスタル・スカルも古代文明のものとして市場に出したと考えられます。
当時、欧米の博物館はメキシコから古美術品を大量に入手していました。その中には密輸品や偽物も混ざっていましたし、死体など不道徳な物のコレクションも横行していました。著名な博物館さえも珍しい品を入手したいという一心で、クリスタル・スカルのような偽造品まで所蔵品に加えてしまったと考えられます。
(ノーマン・ハモンド)
ボバンはクリスタル・スカルをどこから入手したのか?
ボバンと水晶加工品の繋がりを辿ると、ドイツのイーダー・オーバーシュタインに辿りつきます。ここは14世紀以来、宝石や鉱石の加工におけるヨーロッパ有数の街でした。
ユージン・ボバンはここイーダー・オーバーシュタインでクリスタル・スカルを作らせたと思います。ここは技術が確かな上に秘密が守られる場所だからです。ここで作る以上、どんな注文であっても秘密にしてくれと言われれば世間に知られることは絶対にありません。古代に作られたクリスタル・スカルという名目でオークションに出すようなものを作ったとしても、その情報が外に漏れることはないのです。
(宝石加工職人ミヒャエル・ポイスター)
クリスタル・スカルは、コレクターや博物館の欲望に応えようと人知れず生み出されたものでした。それが人の手に渡るたびに謎や伝説、神秘的な噂が増殖し膨れ上がっていったのです。
「一つの謎を説明しようとする時に別の謎を持ち出して説明してはいけない」という言葉があります。クリスタル・スカルをいつ、どこで、誰が、なぜ作ったのかという謎に対して、そもそもが謎である「超古代文明です」という答えはありえません。クリスタル・スカルのケースで私たちが学んだことは物事を証明するさいに必要なのは幻想や希望的観測などではなく事実に基づく証拠だということです。
(CSICOPメンバー ジョー・ニッケル)
「幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー」
クリスタル・スカルの謎
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