放射線を浴びたX年後 日本に降り注いだ放射能は今?|NNNドキュメント’14

日本テレビの「NNNドキュメント’14」で放射線を浴びたX年後、日本に降り注いだ放射能は今?が放送されました。過去に太平洋ビキニ環礁でアメリカによる水爆実験が繰り返し行われました。中でも広島型原爆1000個分の破壊力を持つ水爆ブラボーは多量の放射性物質をばら撒きました。近くで操業していた第五福竜丸を死の灰が襲い、乗組員は被ばく。通信長の久保山愛吉さんは放射能症のため1954年9月23日に亡くなりました。これは第五福竜丸事件として記憶されてきました。しかし、死の海にいたのは第五福竜丸だけではありませんでした。29年前、高校生と共にこの事件を掘り起こしたのが元高校教師の山下正寿さん(69歳)でした。

 

1954年、第五福竜丸の被ばくがきっかけとなりマグロの水揚港で放射能検査が始まりました。被ばくしたマグロを獲った船の数は992隻、乗組員は約13000人。港では人体の検査も行われました。被ばくしたマグロの多くは沖縄の近海でとられていました。ところが沖縄では水揚されたマグロから放射能は検出されなかったと発表されました。当時、琉球政府には測定機がなく検査はアメリカ軍が行っていました。しかし同じ頃、全国の港では連日放射能に汚染されたマグロが見つかり大騒ぎになっていました。その多くが沖縄近海で獲ったものでした。

 

1954年までにアメリカが太平洋で行った核実験は17回。核実験はそれまで自然界に存在しなかったセシウム137、ストロンチウム90、ヨウ素131など沢山の放射性物質を作り出しました。第五福竜丸が被ばくした1954年、国内でも放射能の雨を観測。5月に京都では86000カウント。これは現在の飲料水の基準値の1800倍に当たります。鹿児島では15000カウント、静岡では19500カウント、東京では32000カウントなど全国の広い範囲に放射能の雨が降り注いだのです。沖縄の人たちに不安が広がったためアメリカ軍は沖縄の雨の公開検査を行いました。1リットルの雨水の水面にガイガー計数器を近づけ測定したものの、雨水にも放射能はなかったと言います。しかし、雨水の上から測る方法は測定の仕方としてはありえないものです。アメリカ軍による公開検査から1年後、琉球気象台は放射線測定機を導入。雨水から1300カウントが検出されました。それに対しアメリカ軍は「心配無用。危険なのは5億から6億カウントだ」と発表しました。6億カウントとは1億2600万ベクレルに相当します。アメリカ軍は米軍統治下の沖縄の人たちに魚や雨は安全だとアピールし続けたのです。

 

1958年、アメリカによる核実験が続いていました。作戦名は「ハードタック」核実験は4月末から8月まで35回にも及びました。琉球気象台の7月6日の記録によると那覇市内に降った雨1リットルから17万カウント(3万7000ベクレル)の放射線が検出されています。当時、沖縄の人にとって雨は貴重な水源でした。放射能の雨が降って半世紀。影響は残されているのでしょうか?

 

日本大学の野口邦和さんの協力を得て1960年前後に建設された家の床下の土を採取しました。当時、放射線量の高かった沖縄県5ヶ所、京都府2ヶ所、山形県2ヶ所から土を採取し測定。結果、沖縄で4ヶ所、京都2ヶ所、山形2ヶ所からセシウム137が確認されました。セシウム137は人工放射性物質のため1945年以前には地球上にはないものなので、核実験の影響を受けたものです。ただし濃度は非常に低いもので人体に影響を与えるようなものではありませんでした。アメリカは1946年から1962年にかけ67回もの核実験を繰り返しました。