1985年7月「セーラー服を脱がさないで」でデビューしたおニャン子クラブは、女子高生を中心に結成され、瞬く間に国民的アイドルになりました。
しかし、実はファンの間でおニャン子のエースと呼ばれた幻のメンバーがいました。それは会員番号7番の友田麻美子(ともだまみこ)さん。東京都出身の友田麻美子さんは17歳にしてすでに洗練され大人の雰囲気を漂わせ、結成当初のおニャン子クラブの絶対的中心でした。その存在感は他を圧倒し、後のおニャン子クラブのエースとなる国生さゆりさんを隅に追いやるほどでした。
しかし、アイドルとして花開こうとする直前、週刊文春にスクープされた1枚の写真でおニャン子クラブをクビになりました。それが「おニャン子クラブ喫煙事件」です。新宿の喫茶店で喫煙しているところを撮影されたのです。当時、未成年だった友田麻美子さんを含む5人の中心メンバーはテレビから姿を消しました。
1985年4月、おニャン子クラブを生みだした伝説の番組「夕やけニャンニャン」がスタート。番組は夕方5時から1時間の生放送で、ただの女子高生だった彼女たちがオーディション番組でおニャン子クラブに抜擢され一夜にしてスターに。世の中高生を中心に熱狂の渦を巻き起こし社会現象となりました。
中でも圧倒的人気を誇ったのが会員番号7番の友田麻美子さんです。東京都出身で中学の頃からアイドルになることに憧れていた友田麻美子さんは、流行に敏感でファッションやメイクにも人一倍こだわりました。高校1年ですでに注目を集めていた友田麻美子さんは「オールナイトフジ」でアシスタントに大抜擢。おニャン子クラブではエースとしての活躍が期待されていました。
当時のおニャン子クラブは友田麻美子さんを中心とする都会派の5~6人が一軍メンバーでした。しかし、友田麻美子さんは17歳の未成年ながらすでに喫煙していました。当時、恰好良くタバコを吸うことが大人の女だと勘違いしていた友田麻美子さんたち。この未熟な行動が後に彼女たちの人生を大きく狂わせることとなりました。
実は当時、後に大ヒットとなるデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」の発売を3ヶ月後に控えていました。しかも、センターは友田麻美子さんが飾るとも言われていました。友田麻美子さんを中心とした一軍メンバー6人は、夜の街に繰り出しました。
夜8時、当時フジテレビがあった河田町から電車に乗り新宿西口の喫茶店へ。有頂天になった彼女たちは午後9時10分、人目をはばからずタバコを吸ってしまいました。
すると、男が喫煙する友田麻美子さんたちに向けシャッターを切り、何も語らず走り去りました。彼女たちは必死に男を探しましたが、見つけることはできませんでした。そして「夕やけニャンニャン」のスタッフに電話。友田麻美子さんたちはすぐにフジテレビに呼び戻されました。
喫煙写真を撮られた数日後、「夕やけニャンニャン」の生放送直前、友田麻美子さんたちはスタッフに呼び出されました。週刊文春から連絡があり1週間後か2週間後に記事になることがスタッフから知らされました。そして正式な発表もなく他のメンバーにさえ何も伝えられず、この記事をきっかけに喫煙組の5人はテレビから消えました。
喫煙事件でおニャン子クラブをクビになった友田麻美子さんはスター候補から一転、喫煙のレッテルをはられた女子高生に。夢見たアイドルの道から外れた彼女はその後、人生の歯車が狂い始めました。
おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」が約25万枚の大ヒットを記録する中、友田麻美子さんは定職につかず昼はイベントコンパニオン、夜は西麻布のプールバーで働きました。さらに高校生の頃、両親が別居し後に離婚。24歳の時には結婚を考える恋人ができましたが、直前で婚約解消。そんな友田麻美子さんは48歳となった今も独身です。
もともと美術の学校に通っていた友田麻美子さんは独学でデザインを学び、30歳の頃から手縫いのバッグを制作。わずかな生活費をコツコツ稼いでいました。そのかたわら、認知症の大叔母を介護。現在96歳の大叔母を献身的に支え、食事の世話から身の回りのことまで面倒みています。
こうして必死に頑張る友田麻美子さんに、ついに運命が味方しました。突如、大量にバッグの注文が入ったのです。その理由は一枚の写真でした。写真が掲載されたのは情報誌の片隅。何気ない写真がきっかけになりバッグが口コミで広がり、当時から絶大な人気を誇るカリスマモデルの黒田知永子さんが持つまでに。すると、黒田知永子に憧れるマダムたち愛用バッグに。友田麻美子さんのバッグは完全オーダーメイドで、愛犬など好きな写真やデザインを刺繍することも可能です。
31年前、1枚の写真で人生の歯車が狂った友田麻美子さんですが、1枚の写真がきっかけで人気デザイナーに。大逆転の人生を歩み始めています。
「爆報!THEフライデー」
消えたアイドルは今…大追跡SP
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