1997年、シドニーオリンピックを目指す当時の代表選手には高橋みゆきさん、竹下佳江さんなど、スター選手が多く、代表選ともなれば最高視聴率30.6%を記録。葛和伸元(くずわのぶちか)監督についたあだ名は「ニッポンの怒る人」でした。
しかし、1964年の東京オリンピック以降、初のオリンピック予選敗退。世間から大バッシングを受けた葛和伸元監督は、責任をとり辞任しました。
現在61歳になった葛和伸元さんは、仙台の大型ショッピングセンターの中にあるフードコート「さぬき麺屋 仙台泉直売所」でアルバイトをしています。時給750円、1日4時間、週3日働き月3万6000円稼いでいます。
葛和伸元さんはアルバイトをしながら仙台で一人暮らしをしています。実は妻と独立した息子たちを東京に残し、仙台で一人暮らしているのです。なぜ、こんな生活を送りながらアルバイトをしているのでしょうか?
45歳で代表監督を辞任した葛和伸元さんは、その後Vリーグで監督を12年間つとめるものの57歳で退任。隠居生活にはまだ早かった葛和伸元さんは、セカンドキャリアを探すことに。しかし、添乗員、喫茶店、お好み焼き店、旅館などに申し込むも採用されず、59歳でようやく再就職。
バレーの2部リーグの監督として仙台に単身赴任。現在は週6日、夜はバレーの監督、昼間は週3日うどん店でアルバイトをしているのです。
「爆報!THEフライデー」
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