ハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」|ららら♪クラシック

NHK・Eテレの「ららら♪クラシック」でハイドンの弦楽四重奏曲 皇帝 について放送されました。「皇帝」は弦楽四重奏の父と呼ばれるハイドンが65歳という円熟の境地でかいた名曲です。祖国オーストリアへの愛から生まれたメロディーを得意の弦楽四重奏曲に仕立てました。ハイドンの熱い思いと熟練のテクニックが融合した渾身の一曲です。

 

歌で人々の心をひとつに

長年、大貴族のお抱え音楽家として主人のもとで音楽を書き続けていたハイドン。その生活が一辺したのは58歳の時でした。主の代替わりをきっかけに退職。フリーの作曲家になったハイドンに音楽プロデューサーであるザロモンが訪ねてきました。当時のイギリスは他の国に先駆け民主主義を確立し産業革命がすすむ先進国。夜毎開かれるコンサートには貴族だけでなく商工業者や地主層など様々な人々が集まり熱気にあふれていました。そんな新しい聴衆の前で演奏しようというザロモンの誘いでハイドンはイギリスに渡りました。ハイドンが指揮し、ザロモンがコンサートマスターをつとめる演奏会は大成功。ハイドンはスター・ミュージシャンとして3年間もイギリスに滞在することになりました。名士となったハイドンは滞在中、何度も王室主催の行事に呼ばれました。そこで必ず歌われていたのがイギリス国家「ゴッド・セイブ・ザ・キング」です。集まった人々が声を合わせて歌う姿を見てハイドンは深く心を動かされました。実はこの時代、国家を持つ国はまだ数える程だったからです。階級の違う人々が一緒に歌うということ事態、とても珍しいことだったのです。

さらにハイドンがイギリスに滞在していたのはフランス革命の混乱の最中。やがてナポレオン率いるフランス軍が祖国オーストリアにまで進撃。フランスの兵士たちも団結を強めるため「ラ・マルセイエーズ」を歌っていました。イギリスとフランスの国家を知ったハイドンは祖国の危機を救うにはオーストリアにも国家が必要だと考えました。やがてイギリス滞在を切り上げ、オーストリアに戻ったハイドンは歌曲「皇帝賛歌」を作曲。皇帝フランツ2世の誕生日に発表されるとオーストリアの人々は熱狂的に歓迎しました。数年後、「皇帝賛歌」はオーストリアの国歌に。ハイドンはこの曲が団結の象徴として愛される様子に満足し静かに息を引き取りました。

 

時代が求めた弦楽四重奏

ハイドンがまだ駆け出しの作曲家だった20代のころ。ふとしたきっかけである音楽好きの貴族と知り合いました。貴族はハイドンに新しい曲を注文。バイオリンを弾く自分の家来と村の神父、親しいチェロ奏者、ビオラが得意なハイドンの4人で演奏するための曲でした。当時、この4つの楽器の組み合わせで演奏する曲は珍しいものでした。完成した曲は大変好評で、噂を聞いた他の貴族から書き写させてほしいと依頼が舞い込みました。やがてハイドンの名が高まるとこの楽器の組み合わせで書かれた曲を弾きたいという要望が増え、楽譜を出版するように。こうして生まれた弦楽四重奏曲は家族や友人と少人数で楽しむ音楽として貴族や市民たちの間で大流行しました。求めにおうじ次々かくうちハイドンの弦楽四重奏曲は変化していきました。初期の作品は主役の第一バイオリンを他の楽器が伴奏するシンプルな形でした。それが徐々に4つの楽器全てが代わる代わる主役をつとめ複雑に絡み合いながら濃密な音楽を奏でるように。ハイドンは弦楽四重奏曲を68曲もかきました。中でも円熟期に作曲されたのが「皇帝」熟練の作曲技術とメロディーの美しさとの相まって弦楽四重奏曲の名曲として愛され続けています。


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