おきて破りの協奏曲
冒頭いきなりソロ
オーケストラをバックにソリストが演奏する協奏曲。それまでのバイオリン協奏曲といえば何分も経ってからソロが登場するのが当たり前でした。しかし、メンデルスゾーンはわずか2秒の前奏でソロが始まります。
ソロが伴奏に回る
この時代の常識ではコンサートの主人公はソリスト。オーケストラは伴奏に徹するのが当たり前でした。しかし、メンデルスゾーンは時にはオーケストラがメロディーを演奏し、ソロバイオリンが伴奏にまわるような部分を書いているのです。
カデンツァまで作曲
カデンツァとは、協奏曲の中でオーケストラが演奏をやめソロだけで弾く部分のこと。もともとカデンツァは作曲家は簡単な音譜を1つか2つ書くだけでソリストが即興で演奏するものでした。
ところが、メンデルスゾーンはソリストが曲全体のバランスを崩さないよう楽譜にお手本のカデンツァを書き込んでしまいました。
こんなに沢山のおきて破りを書いたのはなぜなのでしょうか?それにはメンデルスゾーンのもう一つの顔が深く関わっていたのです。
メンデルスゾーン
ドイツのライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、街の人たちがお金を出し合って作った世界初の市民オーケストラです。メンデルスゾーンはこの楽団の音楽監督として招かれました。
ライプチヒ・ゲヴァント管弦楽団を有名にすることがメンデルスゾーンの使命でした。それには歌手やバイオリニスト目当てのお客さんにオーケストラそのもののファンになってもらう必要がありました。そのため、メンデルスゾーンは自らペンをとりソロとオーケストラ両方の魅力を味わえる曲を書いたのです。
名旋律は友情の証し
メンデルスゾーンの「バイオリン協奏曲」を最初に演奏したソリストは、ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターだったフェルディナント・ダーフィトでした。1歳年上のメンデルスゾーンとは同じアパートで生まれたお隣同士。間もなくメンデルスゾーン家が引越しましたが両家は交流を続けました。
2人はそれぞれ音楽の道を志し10代半ばに再会してからは大親友に。早熟で天才肌のメンデルスゾーンと控えめなダーフィトは、室内楽やアンサンブルなど人と一緒に音楽を作るのが大好きでした。そのため、メンデルスゾーンが新しい曲を書いた時には一緒に演奏したり批評し合ったりする盟友となったのです。
メンデルスゾーンがゲヴァントハウス管弦楽団の音楽監督になると、すぐにダーフィトをコンサートマスターとして呼び寄せました。2人の息の合ったコンビはゲヴァントハウス管弦楽団をヨーロッパ中に名前を知られる名門へと押し上げました。
「バイオリン協奏曲」は、そんな盟友ダーフィトにメンデルスゾーンが贈ったプレゼントでした。ダーフィトの持ち味がいきるよう何度も本人の希望を聞きながら作曲を進めました。
「ららら♪クラシック」
友情が生んだ名旋律
~メンデルスゾーンの「バイリオリン協奏曲」~
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