ゼンディ・ローズは、フィリピンの地方都市で生まれました。幼い頃に両親が離婚し、シングルマザーとなった母ジンキーは、娘を育てるためクラブシンガーとして生計を立てていました。ステージで歌う母はゼンディの憧れでした。
しかし、クラブ専属の歌手ではなかったため安定した収入はなく、次の仕事が数ヶ月先ということも。そこで家計を支えるため化粧品の訪問販売を始めました。しかし、収入はいっこうに増えず、電気と水道が止められるほど生活は苦しくなりました。
どんなに貧しくても母と歌っていられれば幸せでした。ゼンディは苦労している母を助けようと、地元のお祭りなどで開かれる歌のコンテストに出場。入賞するたび、その賞金を母に渡しました。
高校を卒業後、奨学金で大学に進学したゼンディは歌手のアルバイトに没頭。卒業を間近に控え銀行から内定をもらいましたが、ゼンディは歌手として生きていくことを決めました。ゼンディはこの「Xファクター」というオーディション番組に出ることに。しかし、落選し本選に進むことは出来ませんでした。
2012年7月28日、親子は久しぶりにマニラのショッピングモールに来ていました。ゼンディは母に赤いバッグを買ってもらいました。その後、雑貨屋に入ろうとしたものの盗難防止のためバッグを背負ったまま入ることが出来ませんでした。ゼンディは外で待っていることに。そこには電気店が実演販売のため置いていたカラオケの機械がありました。
ゼンディは何気なくマイクを握り、一度も人前で歌ったことがないアメリカの人気歌手の曲を歌いました。母を待つ間の時間潰しに歌っただけでしたが、その様子が動画サイトにアップされ300万回以上も再生されていました。
実はたまたま居合わせた客がゼンディの姿を録画し動画サイトにアップしていたのです。すると、アメリカの「エレンの部屋」からテレビ出演の依頼が来ました。ゼンディはこの番組で歌を披露し喝采を浴びました。
しかし、ゼンディのシンデレラストーリーはこれで終わりではありませんでした。世界トップシェアを誇るレコード会社から契約したいと言われたのです。
2013年、ゼンディのファーストアルバムが発売され、フィリピン国内のヒットチャート2位にランクインする快挙を成し遂げました。さらに、シンガポール・香港・オーストラリアなどからライブの依頼が殺到。ショッピングモールの歌姫がスターになったのです。
母親がゼンディを励ますために買ってくれた赤いバッグ、それがもとで店への入店を断られたため、カラオケで歌を歌うことになりました。それをたまたま居合わせた客が撮影し動画サイトにアップ。歌声は瞬く間に拡散。世界中の注目を集め歌手デビューという夢まで叶えたのです。
「奇跡体験!アンビリバボー」
貧困少女が歌手に!母と娘のシンデレラストーリー
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