ニコラス・ウィントンは1939年、チェコスロバキアに住むユダヤ人の子供たちを救出し、イギリスに避難させナチスの虐殺から尊い命を救いました。救出された子供は669人です。
1930年代、チェコスロバキアには多くのユダヤ人が暮らしていました。しかし1938年、ヒトラー率いるナチス・ドイツはチェコスロバキアの占領を開始。そして、そこに暮らすユダヤ人を追放・排除しようとしたのです。
ナチスドイツはユダヤ人の財産を没収し、襲撃や暴力事件も多発しました。家を失い命からがら逃れてきた人たちが暮らすユダヤ人難民キャンプが各地に増え始めました。しかし、そこは食糧の問題や衛生的にもひどい環境でした。
ニコラス・ウィントンは、ロンドンで株式仲買人として成功した若者でした。チェコの首都プラハを訪れたウィントンは、ユダヤ人が危機的状況におかれていることを知りました。ウィントンは世界各国に向けて「かわいそうな子供たちを受け入れて下さい」という内容の手紙を書きました。アメリカのルーズベルト大統領からも返事が届きましたが、受け入れることはできないと書かれていました。それでもウィントンの祖国イギリスから子供たちの入国を認めるという返事がきました。
しかし、この頃ナチスドイツは次々と領土を広げ勢力を拡大。これを阻止しようとする国々との間に戦争が始まるのは時間の問題でした。ウィントンはロンドンに拠点を移し活動を続けました。
イギリス政府が提示した子供の受け入れ条件は、子供1人につき50ポンドの保証金を政府におさめ、子供を預かってくれる人をウィントンらが探すことでした。そのため、チェコスロバキア難民委員会を立ち上げ資金を募り子供たちの受け入れ費用にあてようとしました。正式な手続きをしていると、パスポートや渡航証明書が間に合わないため、やむなく偽造することもあったと言います。
そして開戦間近の1939年3月、第1陣となる列車が出発。ユダヤ人の子供たち20人は出発後まる1日かけて無事ロンドンに到着。彼らは里親のもとに引き取られていきました。その後、ウィントンは半年間で8回、子供たちの移送を成功させました。
そして新たに9月3日に251人の子供たちの出国を計画していました。ところが、9月1日に第二次世界大戦が始まったため、国境が封鎖されウィントンの活動はストップとなったのです。ウィントンが救出した子供は669人でした。
その後、彼は救出した子供たちと会うこともなく祖国を守るためイギリス空軍に参加。そして1945年5月、ドイツが降伏しユダヤ人は自由を手にしました。
しかし、最後の脱出劇から6年の間にユダヤ人の多くは強制収容所で虐殺されていました。そのため、イギリスに避難した子供たちの多くは里親のもとで第二の人生を送りました。
1988年、ウィントンの妻が彼のスクラップブックを発見したことにより彼の存在は広く世に知れ渡ることになりました。ウィントンが救った669人の子供たちは、それぞれの家族を持ち約5000人に拡大しています。
ニコラス・ウィントンは、2003年にエリザベス女王2世からナイトの称号をおくられ、2014年にはチェコ共和国大統領から最高勲章を授与されました。
そして2015年7月1日に、106歳でその生涯を閉じました。チェコにある彼の功績を称えた銅像には多くの花束が捧げられています。
「世界まる見え!テレビ特捜部」
ユダヤ人の子供669人を救ったイギリス人ヒーロー
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