押阪忍&栗原アヤ子の闘病生活「肺スエヒロタケ感染症&大腸がん」|爆報!THEフライデー

1963年にスター同士の結婚で話題を呼んだ押阪忍(おしざかしのぶ)さん、栗原アヤ子(くりはらあやこ)さん夫婦。押阪忍さんといえば70年代、平日のお昼を賑わした人気クイズ番組「ベルトクイズQ&Q」の名司会者として活躍。さらに「プロ野球ニュース」や「特ダネ登場!?」などでも司会をつとめた昭和を代表する名アナウンサーです。

 

妻の栗原アヤ子さんは、70年代半ばにお昼のワイドショーなどで人気司会者として活躍しました。そんな2人は、いつでも幸せいっぱいで芸能界でも有名なおしどり夫婦でした。

 

栗原アヤ子さんの病

1993年、栗原アヤ子さんに喘息に似た息切れ、咳などの症状が現れました。しかし、風邪をこじらせた程度と思い病院に行くことはありませんでした。ところが半年後の8月、ラジオの本番中に呼吸困難に陥ってしまいました。緊急入院するも原因不明と診断され容態は悪化の一途を辿っていました。

 

入院から3ヵ月後、ようやく病名が明らかになりました。それは「肺スエヒロタケ感染症」というもの。

肺スエヒロタケ感染症とはスエヒロタケというキノコの菌糸が肺に入り込み中で繁殖してしまう病

スエヒロタケは街中の公園など、国内のどこにでも自生しています。本来、キノコの菌糸が体内に入っても肺に寄生する前に抗体が死滅させるため、感染することはまずありません。しかし、極端に免疫力が落ちている時に限り、キノコ菌糸が肺にまで入り込み感染することがごく稀にあると言います。

 

栗原アヤ子さんの場合、肺の細管にスエヒロタケが巣食い菌糸に成長していました。当時、世界で7例しか症例がない極めて珍しい病だったため治療法が確立されておらず、行われたのは激痛を伴う気管支ファイバー治療法というものでした。口から気管支ファイバーという内視鏡を肺まで通し、ファイバーの先についたメスでスエヒロタケの菌糸を削り取り、抗生物質を肺壁に塗布して繁殖を防ぐという治療法。手術は毎週1回行われました。

 

仕事の合間をぬって毎日病院に通った押阪忍さんでしたが、一人自宅に戻ると自責の念にかられていたと言います。というのも、押阪忍さんはずっと亭主関白だったのです。結婚以来、妻が病に倒れるまで家事や料理は手伝ったことがありませんでした。自分がもっと妻の体を心配していれば、もっと早く病院に連れていけたかもと感じていたと言います。

 

栗原アヤ子さんの入院生活は半年に及び退院。ところが2年後の1996年、肺スエヒロタケ感染症が再発。激痛の手術に耐えても、スエヒロタケ菌は完全に死滅していなかったのです。以来、病状は悪化の一途をたどり、気管支炎や緑膿菌感染症など様々な合併症を併発。年に1~2度のペースで入院を繰り返すように。そんな栗原アヤ子さんをさらなる悲劇が襲いました。

 

押阪忍さんの大腸がん

2009年4月に夫・押阪忍さんの大腸がんが発覚しました。栗原アヤ子さんは、自分の闘病生活を必死に支えてくれた夫の姿を思い出し、自分が夫を支えようと決意。そして、夫の手術の日を自分の誕生日6月22日に選びました。それは、病に夫婦2人の力で打ち克つという決意表明でした。

 

手術は無事に成功し、再発の危険があると言われる5年を何事もなく過ごしました。

 

一方、今も病と闘っている栗原アヤ子さんですが、現実に絶望するのではなく病気と生涯付き合っていく覚悟を決めていました。そんな栗原アヤ子さんへの恩返しに押阪忍さんは沢山の植物を育て、花に囲まれた家にしようとしています。旅行が大好きで花が大好きだった妻のため、外出できなくても楽しませてあげたい、妻がいつ入院しても病室に花を届けられるようにとの思いからでした。

 

押阪忍さんは20年間、妻が入院するたびに花を届けています。夫の愛に支えられ栗原アヤ子さんは、週に2~3回は空気の綺麗な場所を散歩できるようになっています。また、夫と一緒にナレーター学校の講師をつとめるなど、生きがいを持ちながら病と闘っています。

 

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