殺されたのは代々続く役者一家に生まれ国民的人気を誇った俳優M。当時の記事によると俳優M、元女優の美人妻、2歳の子供、一家のお手伝い2人が何者かによって斧でメッタ打ちにされ無残な姿で殺されたと言います。
大御所俳優M
戦後間もない昭和21年、阪東妻三郎や原節子らが人気を誇っていた頃、誰もが憧れの目で見つめる大御所俳優Mがいました。
Mは3歳で芸能界デビュー。涼しげで凛々しい顔立ちが人気を集め、舞台を中心に長く活躍していました。
Mは東京都内の高級住宅街に住み、3人のお手伝いを雇うほどの裕福ぶりでした。そして誰もが羨んだのが妻H。Hは元女優で、Mとは40歳近く年の離れた美人。裕福なMの元へ嫁ぎ息子も生まれ順風満帆な暮らしをしていました。
一家惨殺事件
1946年3月、その日M一家はいつもと同じ時刻に就寝。翌日、通報を受けて警察が駆けつけるとMは頭を割られ絶命していました。近くには凶器らしい薪割り用の斧が転がっていました。
妻Hは、斧で頭を割られた上ナイフのようなものでメッタ刺しされていました。そして布団の下には息子の遺体が。さらに、2人のお手伝いの遺体が横たわっていました。
被害者は全部で5人。有名俳優の死に新聞は「恨みか痴情か?」の見出しが躍りました。
容疑者
人気俳優の死とあって野次馬が押し寄せる中、警察は現場検証と聞き込みを開始。すると、次々に現場の状況が明るみになりました。
調べによると妻Hが郵便局から下ろした現金600円(現在の20万円程)がなくなっていました。またM愛用の服と靴が消えていました。
容疑者として捜査線上に上がったのは3人。
容疑者①お手伝いT
1人目の容疑者は一緒に暮らしていたM一家の中で唯一無事だったお手伝いのT。実はTは妹と共にMに雇ってもらいお手伝いとして働いていました。
実の妹が殺害されているため容疑者とは考えにくかったのですが、周りの聞き込みによるとMに厳しく働かされ密かに恨んでいたと言います。
容疑者②妻の母親Y
2人目の容疑者は第一発見者の妻の母親Y。周りの聞き込みによるとYは娘の優雅な暮らしに嫉妬し一家の金を狙っていたと言います。
容疑者③隣人R
3人目の容疑者は隣の家に住んでいた男性R。Rは美人妻に下心を抱き執拗に迫っていたと言います。妻の傷が特に深かったことから、恋した末の逆恨みとも考えられました。
現場検証を進めると衣装タンスから米粒や砂糖、惣菜の煮汁が残った食器が見つかりました。犯人は5人もの人間を殺した後、すぐに逃げずに食事をしていたのです。
犯人はお手伝いT
逮捕されたのはお手伝いのTでした。犯行動機は空腹でした。
戦後間もない当時の日本は厳しい食糧難の時代でした。政府の配給制により人々は食料を与えられていましたが、その量はわずかでした。米は1日1杯以下。このままでは国民の1割、700万人以上が餓死するのではないかと言われていました。
周囲から裕福だと思われていたM一家も例外ではなく、配給食糧をあてに暮らしていました。
しかし、Tの供述によるとMの家では妻がTの分の配給を横取りしていたと言います。食料は全てMの妻が管理し、Tの分け前はわずかでした。さらに、若く食べ盛りだったため常に腹を減らしていたTは、時折近所から分け前をもらい空腹をしのいでいました。
ところがある日、ご近所さんから米を恵んで貰っていることがMと妻にバレ、さらに食事の量を減らすと言われてしまいました。空腹が極限状態に達し、Tは精神錯乱に陥り実の妹まで巻き込む犯行を犯してしまったのです。
判決は…
M一家5人惨殺事件によってTに下された判決は無期懲役。5人もの人間を殺害したにも関わらず死刑を免れたのです。その理由はTが犯行当時、栄養失調で朦朧状態であったこと、様々な情状が考慮されたためでした。
その後、TはM一家の遺族に宛てた手紙で「申し訳ないね。食い物の恨みだと言えば死刑にならずに済むと言われたから」という言葉を残しています。
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