市橋達也の真実 逃亡961日|ザ!世界仰天ニュース

市橋達也の生い立ち

市橋達也(いちはしたつや)は医師と歯科医の両親のもとに生まれました。将来は医師に、そんな期待を背負っていましたが、4浪までして医学部へはいけませんでした。千葉大学の園芸学部へ。しかし、大学卒業後は就職はせず親が所有するマンションに住み続け、バイトもした事がなく仕送りだけで生活していました。庭園デザイナーの勉強のため海外留学を目指すと周りには言っていたものの、実現などせず時間だけが過ぎていました。

 

やがて、親からこんな連絡が。

3月いっぱいでもう仕送りはしない。もう28歳だろ。ちゃんと真剣に考えなさい。

 

仕送りを止められマンションも出ていけと言われたのです。事件が起きたのは、そんな矢先のことでした。

 

リンゼイさんとの出会い

2007年3月20日、市橋達也は行徳駅前で外国人女性を見かけました。そして、こう話しかけました。

「僕のこと覚えてます?以前、洗濯機を直してあげたの覚えていません?」

それは近づくための口実でした。全く身に覚えがない女性は去っていきました。

 

市橋達也は彼女を追いかけ、こう言いました。

「私は美術を学びたくて英語を教えて欲しいんです。怪しいものではありません。水を飲ませてもらっていいですか?」

これが、後に殺されたリンゼイさんとの出会いでした。

 

リンゼイさんは日本人を信用していたため、市橋達也を家に入れ水を飲ませることにしました。家にはルームメイトとその友人がいました。水をもらった市橋達也は「お礼に似顔絵を描いてあげる」と言いました。市橋達也は絵に自分の名前、電話番号、メールアドレスも書き、その代わりにリンゼイさんの連絡先を手に入れました。

 

翌日、市橋達也はリンゼイさんにメールを送りました。

英語教えて下さい。

またまたこんにちは市橋達也です。あんな遅い時間にいってごめんなさい。招き入れてくれてありがとう。今週末話をする時間はありますか?またお会いしましょう。

その後、数回メールのやり取りをし1時間3500円で英語の個人レッスンを受けることになりました。

 

事件

2007年3月25日の午前9時頃、2人の姿は喫茶店の防犯カメラに映っていました。英語のレッスンが行われ45分が経った頃、市橋達也は「レッスン料を忘れてしまった」と言い出しました。

 

「俺の家この近くだから一緒に来てくれたらすぐ払う。」

 

レッスン料を受け取るためリンゼイさんは市橋達也の家へ。しかし、中に入ると市橋達也は豹変。強引に体を奪いました。その後、手足を拘束し浴室から浴槽を持ってきました。リンゼイさんを浴槽に入れ監禁。約16時間後、首を絞め殺しました。

 

リンゼイさんはまだ22歳、母国にはボーイフレンドもいました。

 

事件後の驚きの行動

3月26日、午後6時頃、市橋達也はホームセンターで発酵促進剤などを大量に購入しました。

 

その頃、リンゼイさんのルームメイトに勤務先から連絡がきました。2日間無断欠勤しているとのことでした。市橋達也に英語のレッスンをすると聞いていた彼女は、警察に通報しました。市橋達也と行徳駅で待ち合わせていたことを伝え、警察が周辺を捜索。防犯カメラに2人の姿が確認されました。

 

市橋達也は遺体を土で埋めていました。午後9時頃、外出しようとしたところに警察が来ました。そして6人もの刑事を振り切って逃走。民家の庭先に隠れました。警察に見つかったものの、再び刑事を振り払い逃走。気づけば裸足で足は血だらけでした。

 

過去にも逮捕歴が

実は市橋達也は過去に1度逮捕されています。大学時代、マンガ喫茶で落ちていた財布を盗もうとしたのです。目撃した人に注意されると階段から突き落とし逮捕されました。しかし、親が示談金を出したため前科はつきませんでした。

 

家に警察が来た時、まず頭に浮かんだのは父親のことだったと言います。しかし、もう頼ることはできません。所持金は5万円弱でした。

 

市橋達也は病院のトイレに侵入し、コンビニで購入した裁縫道具で鼻を縫いました。顔の印象を変えるためでした。

 

逃亡生活

その後、靴を手に入れ逃走資金を使わないために無賃乗車を繰り返しました。最初は北へ向かいました。埼玉、茨城、群馬と移動。眠らず記憶がなくなるほど歩き続けたこともありました。そして、空腹と闘い残飯を食べたと言います。徒歩と無賃乗車を繰り返し青森へ。ホームレスからウインドブレーカー上下と寝袋をもらいました。

 

顔の印象を変えるため分厚い下唇をハサミで切り取りました。そして、大阪の西成区へ。大阪で初めて自分の手配書を見ました。やはり働くのは危険だと思い、松山からフェリーに乗って別府へ。そして鹿児島から沖縄へ。事件から3か月が経っていました。

 

人目につかない南の島で暮らすため、ほとんどの金を費やし自給自足に必要だと思うものを買いました。那覇からフェリーで久米島へ。そこから小さな島へ渡りました。しかし、魚は簡単に釣れず、飲み水もクーラーボックスで海水をろ過してみるも飲めるものではありませんでした。夜は大量の蚊や得体の知れない生き物に襲われ、寝袋にくるまって寝ました。

 

そんな過酷な生活が1週間。脱水症状に空腹、挫折しました。

 

2007年6月29日、市橋達也に100万円の懸賞金がかけられました。そんな中、市橋達也は大阪を目指す決意をしました。すでに所持金はほとんどなく、那覇までのチケットを買えませんでした。無賃乗車が見つかりましたが、何とか許してもらえました。那覇で日雇いの仕事ができ少し現金を得ました。

 

その頃、市橋達也の特徴が左頬の2つのホクロであると指名手配所に書かれました。すると、自ら2つのホクロを切り取りました。

 

2007年9月、大阪にたどり着きました。西成区の職業案内所で神戸にある住み込みで働ける会社を見つけました。名前、出身地、年齢、血液型などは適当に書きました。仕事は日当1万円。そこから寮費1日3000円を引かれました。業者や職人の下っ端として働きました。なるべく人と話さず黙々と働きました。仕事はきつかったものの、まともな食事がとれるのが嬉しかったと言います。本来は左利きの市橋達也は、みんなの前では右利きをよそおって食べていました。

 

夜勤は日当が高くなるため仕事があれば昼でも夜でも働きました。1か月で25万円ほど稼ぎました。金は見つからないようビニールに入れ、常に身につけていました。

 

3か月ほど働いて80万円ほど稼いだ時、マンガ喫茶で美容整形について調べました。美容整形は身分証明なしで施術を受けられる病院もあります。市橋達也は鼻を高くして小鼻を小さくする手術を受けました。費用は60万円でした。

 

その後、大阪の仕事場には戻らず沖縄の島へ。今回はサバイバルの本を読み、必要なものを買い込み暮らしました。空腹に耐えられなくなると、また大阪・西成へ。別の住み込みの仕事を見つけて働きました。身の危険を感じるとすぐに姿を消しました。住み込みの現場では逃げる人は多くいたため捜索されることはありませんでした。

 

こうしてフェリーで何度も沖縄の島に行き、金がなくなると関西での住み込みの仕事をする生活を繰り返しました。

 

逃亡生活2年6か月

仕事場の寮に戻るとスーツ姿の男たちがいました。刑事だと思った市橋達也はすぐに逃げました。そして市橋達也が考えたのは、また顔を変えることでした。名古屋の病院で眉間を高くする手術を頼みました。手術は無事に終わりました。

 

手術後、市橋達也の写真を見ていた医師はあることに気づきました。左頬にある2つの傷を不審に思ったのです。以前ニュースで見た市橋達也のホクロの特徴を覚えていました。そして医師は警察に通報しました。

 

2009年10月31日、警察は病院を張り込み、抜糸の日に市橋達也が来るのを待ちました。しかし、市橋達也は現れませんでした。

 

この頃、市橋達也は福岡のビジネスホテルにいました。抜糸は自分で行いました。

 

市橋達也が美容整形を受けていたことが発覚し、顔の変わった市橋達也のニュースが日本中を駆け巡りました。すると、市橋達也が住み込みで働いていた場所からも通報が。市橋達也の足取りが次々に明らかになっていきました。

 

市橋達也の中で逃げる場所はあの島しかありませんでした。

 

逃亡の終わり

2009年11月10日、市橋達也は神戸のフェリーターミナルへ。しかし、その日神戸から沖縄行きのフェリーは出ていませんでした。フェリー会社の職員は違和感を覚えました。沖縄に行くのに身軽で、連日のニュースでピンときたのです。そして、大阪のフェリーターミナルへ連絡しました。

 

午後3時、市橋達也は大阪のフェリーターミナルに到着。この日の沖縄行きの出向は夜10時。しかし、市橋達也は2階の待合室から一歩も動きませんでした。

 

フェリー会社の職員は市橋達也だと確信。午後6時45分、警察へ通報しました。そして警官が市橋達也のもとへ。市橋達也は逃げませんでした。午後8時17分、市橋達也は逮捕されました。

 

2年7カ月の逃亡劇は終わりました。市橋達也には無期懲役の判決が下され、その後確定しました。

 

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逃亡961日 殺人犯 市橋の真実

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