1958年、歌手として芸能界デビューしたホキ徳田(ほきとくだ)さんは、当時としては珍しい奇抜なファッションやお尻を出したヌードを披露。そんな破天荒な生き様から、日本で初めて「プレイガール」と呼ばれたと言われています。
1967年、ホキ徳田さんは大文豪ヘンリー・ミラーと結婚。年の差は42歳。世界的大文豪との結婚に「奇跡のシンデレラガール誕生」と日本中が大フィーバー。この結婚を機にホキ徳田さんは芸能界から姿を消しました。
元祖プレイガールのファンキー生活
現在84歳となったホキ徳田さんは、84歳とは思えないほどパワフルな食生活を送っています。
毎日深夜に行きつけの居酒屋へ。大好きな日本酒を飲み、お肉やチヂミなどよく食べます。84歳ですが、大病知らず超健康体です。
現在、住んでいるのは港区のマンション(2LDK)です。部屋の壁にはヘンリー・ミラーの写真や、彼が描いた絵が飾られています。
世紀の国際結婚!衝撃の裏側
東京都に生まれたホキ徳田さん(本名:徳田浩子)。実家は超セレブ。父は国際連盟の職員、母は那須与一の子孫。10代でカナダの音楽学校に留学したホキ徳田さんは、日本に戻ると歌手や女優など大活躍。そして32歳の時、単身でアメリカに渡りました。
伝説❶ラブレターを1年半無視!
ホキ徳田さんは、高級ホテルのレストランでピアノの弾き語りを始めました。ピンポンパーティーに誘われ、そこで出会ったのが74歳のヘンリー・ミラーでした。
パーティーから数日後、ヘンリー・ミラーからラブレターが届きました。
ホキ徳田さんは、おじいちゃんという理由で全く相手にしませんでした。しかし、ヘンリー・ミラーは諦めず、ホキ徳田さんの仕事場にまで秘書を送りラブレターを送り続けてきたと言います。このラブレター攻撃は1年半、300通も続きました。しかし、ホキ徳田さんは無視し続けました。
ラブレターは日本人の美術収集家が買い取り、現在は栃木県真岡市で保管されています。
私の耳は、まだあなたの声でいっぱいです。あなたを見たばかりの私の目は濡れています。あなたの夢の中で私に話しかけてください。私は聞いています。
(ヘンリー・ミラーからのラブレター)
その後、2人は結婚しましたが、決め手は何だったのでしょうか?
ホキ徳田さんは永住権目当てで、しぶしぶ結婚を承諾したのです。
伝説❷結婚後 重婚で逮捕寸前
実は、ヘンリー・ミラーは生粋のプレイボーイでした。これまで7人の女性と結婚。ホキ徳田さんと結婚した時、7人目の女性と離婚し忘れていたことが発覚。このままだと懲役2年以下の重婚罪に問われるため、妻と急いで離婚しました。
ヘンリー・ミラーとの生活で最も楽しかったのが、世界中のイケメンが集まるセレブパーティーでした。
しかし、2人は結婚12年目に離婚しました。
86歳のヘンリー・ミラーに彼女ができたのです。しかも、ホキ徳田さんより年下の25歳。ミス・ユニバースアメリカ代表でした。
最後は好きに生きて欲しいと、ホキ徳田さんは慰謝料を一切貰わずヘンリー・ミラーと離婚を決意。そして、その2年後ヘンリー・ミラーは88歳で亡くなりました。
六本木で現役のシンガー
84歳となったホキ徳田さんは、今でも現役バリバリのシンガーです。週に5日、バーでピアノの弾き語りをしています。
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