阿藤快(あとうかい)さんは1946年、神奈川県小田原市で生まれました。大学卒業後、劇団「俳優座」へ入団。42歳の頃に出演した「教師びんびん物語」で教頭役を務め、これが当たり役となりました。ドラマや映画で名脇役として、さらには日本全国を旅するリポーターとして愛されました。
死の1か月前の2015年10月、ドラマ「下町ロケット」に出演。別段変わった様子もなく生き生きと役を演じていました。しかし、撮影から数か月後、阿藤快さんは自宅のマンションで一人寂しく亡くなりました。死因は大動脈瘤破裂でした。
阿藤快さんの葬儀が執り行われると、喪主として突如息子だと名乗る一人の男性が現れました。阿藤基(あとうもとい)さんです。彼は東京都江戸川区の金属加工工場で働いていると言います。
1973年、阿藤快さんは27歳の時に大学生の頃からの恋人と結婚。2年後に息子・基さんが誕生しました。当時はまだ売れない役者だった阿藤快さんを妻が働きに出て支えました。基さんには父親らしい阿藤快さんの記憶が何一つ残っていないと言います。テレビでの温和なイメージとは裏腹に無口でそっけなかったそうです。
基さんが小学5年生の時に両親は離婚。基さんは母親と暮らすことになりました。これをきっかけに阿藤快さんと会うことはなくなったと言いました。月に1回3人でご飯を食べる約束をしたそうですが、約束が果たされることは1回もなかったそうです。
その後すぐに阿藤快さんは「教師びんびん物語」でブレイク。しかし、裏切られたと感じた基さんは学校などで自分が阿藤快の息子だと名乗ることはなかったと言います。
ある日、酒に酔った阿藤快さんが基さんの母に電話をかけてきました。しかし、軽薄な阿藤快さんに怒りを抑えることができなかった基さん。以来、阿藤快さんからの電話はなくなりました。
そして2015年11月、阿藤快さんは亡くなりました。父の突然の死に実感もわかないまま、葬儀では急きょ喪主をつとめました。
父の死から数か月後、基さんは阿藤快さんが残したサインに気づきました。旅番組などで年間200日は日本全国を周っていた阿藤快さん。行く先々で頻繁に父のサインや写真をみかけた基さん。「父はどういう人だったのか知りたい」と思うようになりました。
番組で阿藤快さんについて語る人々のインタビューを見た基さんは…
「爆報!THEフライデー」
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