小児専門の集中治療室(PICU)は24時間症例を問わず一刻を争う子供を受け入れ治療にあたり、子供たちの命を救う最後の砦です。その緊迫の最前線に立ち続ける医師が静岡県立こども病院の上田育也さんです。上田さんの夢は日本にまだまだ不足しているPICUを広めることです。
実は日本の1~4歳の子供の病気や事故による死亡率は先進国の中で最悪です。上田さんは若い小児科医たちに自分の持つ専門技術を積極的に伝えています。根底にあるのは救える命をもっと救いたいという気持ちです。
静岡市にある県立こども病院は、15歳以下の小児専門の全ての診療科がそろった日本有数の総合病院です。PICU(小児集中治療室)にいるのは一命はとりとめたものの予断を許さない症状の重い子供たちです。ここのセンター長をつとめる上田育也さんは、4年前にこのPICUを一から立ち上げました。専門医が24時間常駐し患者を受け入れているPICUは日本に4つしかありません。
日本の0歳児の死亡率は世界で最も低いのに、1~4歳児の怪我や病気による死亡率は先進国で最悪です。PICUが少ない理由の一つはインフラの整備にあります。0歳から15歳まで対応するには多種多様な器具や設備が必要で通常のICUよりコストがかかります。さらに、小児医療は通常より多くのスタッフを必要とする反面、採算が取りにくいのです。
上田育也さんが小児科医になる決意をしたのは高校時代。ある日、何気なく見ていたテレビの画面から目が離せなくなりました。映っていたのは飢餓に苦しむアフリカの子供たちの姿。そのあまりの悲惨な光景に心が揺さぶられました。医者になればこの子たちを助けられると思いました。念願かない小児科医と歩み始めた矢先、日本の小児医療の壁にぶつかりました。
上田さんは一大決心をし、小児救急の先進国アメリカの病院で勉強することにしました。シンシナティ小児病院で4年間、小児集中治療の最前線で腕を磨きました。そして日本の10の病院にPICUを作りたいという手紙を書きました。
そんな上田さんの気持ちに共感したのが田村正徳教授でした。田村医師もかつて日本にPICUを作ろうとしましたが、叶わなかったのです。田村さんはアメリカ帰りの上田さんを長野の病院に呼び寄せPICUの開設を目指しました。
2001年、東京に次いで国内2つめのPICUが長野に誕生しました。その後、上田さんは静岡県立こども病院にスカウトされ2007年、静岡にPICUを作り上げました。
子供たちの未来のためにPICUを日本に広めたいという想いを実現させるため、上田さんは全国から研修医を呼び寄せ、その教育に力を注いでいます。3年で一人前にして巣立ってもらい、PICUの不足を医師の専門技術でカバーしようと考えているのです。
「夢の扉+」
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