視界の中央が歪んだり欠けて見えなくなったりする加齢黄班変性(かれいおうはんへんせい)。発症率は年齢を重ねるにつれ高まり、患者数は世界で1億2000万人と推定されています。
人は目に入った光を網膜に映すことで映像を認識しています。その中心である黄班がモノを最も鮮明に見ることができる部分。この黄班部分で細胞が死んだり出血したりすると次第に視力が失われていきます。
欧米では成人の失明原因トップ。しかも9割を占める萎縮型と呼ばれる加齢黄班変性には長年決定的な治療法がありませんでした。
この誰もがかかりうる難病を手軽な飲み薬で治療できるという男が現れました。それは眼科医から起業家に転進したアキュセラ社のCEO窪田良(くぼたりょう)さんです。窪田良さんの新薬は現在アメリカの国家機関に認可を申請中です。
実は一つの新薬が世に出るまでには想像を絶する高い山を登らねばなりません。まず最初の研究期間だけで約3年。その後、マウスや人での臨床試験を経て晴れて認可されるまでには12年以上もかかります。最大3万個もの新薬の種、化合物の中から最適な一つを見つけ出していきます。つまり認可にたどり着くのは3万分の1でしかないのです。
実は窪田良さんは20代の若さで世界的な発見をしています。それは中高年がよく患う緑内障の原因遺伝子の発見です。しかし、論文を発表しおえた窪田良さんは研究者としての将来をあっさりと捨ててしまいました。医師である以上、患者と向き合いたいと思ったのです。そして東京・虎の門病院に。
窪田良さんは患者を救うため手術の腕を上げたいと考えました。あえて左手で食事をする日々。両手を自在に使うためです。やがて、腕を見込まれ巨匠・今村昌平監督の目にメスを入れることに(白内障)。
しかし、窪田良さんは納得していませんでした。それは治療法がなかった難病、加齢黄班変性。人生なかばで失明し絶望する患者が後をたたないのに自分は手をこまねいているしかないと…
失明の危機に直面する世界の人々を救いたいと、窪田良さんは2000年にアメリカ・シアトルに渡りました。一時席をおいたのはワシントン大学。そこで新薬開発の突破口となるある疑問にたどり着きました。それは、なぜ鳥は夜に視力が落ちるのにヒトは平気なのかということ。
目の網膜には昼間に高い視力を発揮する細胞と、暗視カメラのように夜でも敏感に光を感じる細胞の2種類があります。鳥の多くは暗視カメラ型細胞が少ないので、夜は視力が落ちます。逆に人はこの細胞が網膜の9割を占めるため夜でも視力が落ちないのです。
ところが、この暗視カメラ型細胞には長時間光にさらされると毒素が出て傷つく性質があります。ならば、この細胞を光の害から守ればいいと思ったのです。そこで窪田良さんは飲むサングラスの開発に挑戦しました。
新薬の開発
2002年、窪田良さんは自宅のガレージでベンチャーを立ち上げました。しかし、会社の登記費用として弁護士に支払う500万円がありませんでした。そんな窪田良さんに手を差し伸べてくれたのが弁護士のスティーブ・グラハムさん。新薬で世界中の人々を助けたいと熱く語る窪田良さんにタダで登記を引き受けようと申し出てくれたのです。
それでも肝心の開発資金が足りませんでした。開発は通常5年分、50億円を見込んでスタートします。しかし、窪田良さんが集められたのは25億円。時間は半分の2年半しかありませんでした。
そこで窪田良さんは日本の眼科が得意とする網膜電図という装置にかけることに。網膜電図とは人やマウスの目に電極をつけて心電図のように眼の状態を知るための装置。従来のマウスを一匹一匹解剖する方法より効率がいいです。2年半という短期間でもいけると考えました。
ところが、試しても試しても肝心の化合物は見つかりませんでした。
窪田良の原点
窪田良さんには自らを奮い立たせる原点がありました。それは父親の転勤でアメリカの小学校に通っていた頃のトラウマ。家族と近所を散歩していた窪田少年は、見ず知らずの女性からいきなり水をかけられ「日本人は日本に帰れ」と言われたのです。
窪田良さんは「日本人だって世界の役に立てるということを何らかの形で発信していきたい」と思ったと言います。そして自分のイノベーションで日本人が世界の役に立つことを証明してみせると研究を続けました。
しかし、タイムリミットまで1年を切ってもなかなか新薬につながる化合物は特定できませんでした。
タイムリミットまで半年。新薬に繋がる化合物は徐々に絞り込まれてきました。
そして2008年4月、ついに新薬に繋がる化合物を発見しました。それはタイムリミットのわずか2週間前、土壇場の逆転劇でした。
窪田良さんが発見した化合物は、現在欧米で人での臨床試験の最終段階に達しています。日本人として世界を変える道筋が見えてきました。
「夢の扉+」
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