「アヴェ・マリア」は、キリストを身ごもった母マリアを祝福する歌で、16世紀ルネサンス時代や19世紀ロマン派の時代に数多く作曲されました。
グノーのアヴェ・マリア
シャルル・グノーの「アヴェ・マリア」はパリで誕生しました。この曲には元になった曲がありました。バッハが作曲した「平均律クラヴィーア曲集」の中の「プレリュード」です。グノーの「アヴェ・マリア」の伴奏部分は「プレリュード」をそっくり使っているのです。
ある日、グノーは即興でバッハの「プレリュード」にメロディーをつけながらピアノを弾いていました。それを聴いていた義父ジンメルマンが「とてもいい曲だね!世の中に発表してみては」とアドバイス。気を良くしたグノーは早速曲を仕上げて演奏会で発表しました。しかし、この時点では「アヴェ・マリア」という歌詞ではなかったようです。
1859年にチャリティーコンサートで披露しようということになりました。大ソプラノのカルヴァロ夫人が独唱し、アヴェ・マリアの歌詞で初演されました。アヴェ・マリアの歌詞を誰がつけたかはよく分かっていませんが、グノーは宗教的なことに熱心だったと言います。
シューベルトのアヴェ・マリア
この曲はもともと違ったタイトルがついていました。
イギリスの詩人ウォルター・スコットの詩集「湖上の美人」を題材に、シューベルトが1825年に発表した時は「エレンの歌 第3番」というタイトルだったのです。
これは若い娘エレンが、自分と父親の命を救ってほしいとマリア様にお願いする歌です。冒頭にアヴェ・マリアという歌詞が出てくることから「シューベルトのアヴェ・マリア」というタイトルで有名になってしまったのです。作曲当時、様々な場所で演奏され大人気だったそうです。
カッチーニのアヴェ・マリア
イタリアのルネサンス時代、フィレンツェで活躍したジュリオ・カッチーニの作品とされてきましたが、最近の研究では違う人物の作品ではないかと言われています。カッチーニは宮廷音楽家で教会には関係がなく、教会音楽は1曲も残していません。では一体誰が書いたのでしょうか?
カッチーニのアヴェ・マリアが録音されて最初に世に出たと考えられるレコードが1970年頃にロシアで発売されたものです。このレコードの3曲目にあるのが「アヴェ・マリア」です。作曲者については「16世紀の作曲家 名前は不詳」と書かれています。
このレコードを発表したウラディーミル・ヴァヴィロフは、ロシアのリュート奏者でギタリストです。音楽院で作曲も学び、自分の作品を他人の名前で発表することもあったと言います。彼は「これはカッチーニの作品だよ」と語っていたという共演者の証言もあったと言います。しかし、ヴァヴィロフはほどなくして亡くなったので真相は闇の中です。
「ららら♪クラシック」
アヴェ・マリア誕生秘話
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