1999年、星野監督率いる中日ドラゴンズ、セ・リーグ優勝の立役者となったのが野口茂樹(のぐちしげき)さんです。28歳で最高年俸1億4000万円にまで達しました。
しかし、31歳で巨人に移籍すると肘の怪我の影響もあり成績不振に。34歳で戦力外通告を受け表舞台から姿を消しました。
現在42歳となった野口茂樹さんは照明の営業マンとして働いています。しかし、なぜ球界を代表する大エースだった野口茂樹さんが野球に携わる仕事をしていないのでしょうか?そこには結婚して7年になる妻・直美さんと挑んだ長年に渡る不妊治療との闘いがありました。
2人が出会ったのは2007年。2人は結婚を意識する関係だったものの1年後に野口茂樹さんが戦力外通告を受けてしまいました。しかし、野口茂樹さんは肘さえ完治すればまだやれると信じ、収入ゼロの状態で自主トレーニングを続けプロ野球への復帰を目指す野球浪人の道を選びました。
そんな中、直美さんの愛は変わることなく野口茂樹さんが戦力外となった半年後に結婚。直美さんは保育士として働きプロへの復帰を目指す野口茂樹さんを支えました。
それと同時に夫婦にはもう一つ大きな願いがありました。それは子供が欲しいというもの。1日でも早く子供ができることを望んでいた2人は、夫婦で前向きに妊活に取り組んでいました。しかし、結婚から4年経ってもなかなか子供ができずにいました。直美さんは30歳を過ぎ焦り始めていたと言います。
2011年12月5日、野口茂樹さんはラストチャンスと決め12球団合同の入団テストを受けました。しかし結果は不合格でした。野口茂樹さんは安定した収入と妻を安心させたいという思いから就職。妻との間に子供をつくるため第2の人生を歩むことにしました。しかし、待っていたのは不妊治療との闘いでした。
31歳になった直美さんが選んだ治療法は人工授精でした。費用は様々な検査代を含め1回3~5万円程です。母体へのリスクも少ないとあって多くの人が利用しています。
しかし、子供を授かることはできませんでした。その後も諦めることなく3年間で6回の人工授精を行いました。しかし、6回とも妊娠に至ることはありませんでした。すると、仲の良かった夫婦に亀裂が。同じ気持ちを相談する相手もなく、直美さんにとって辛い日々が続きました。
妊活を始めて5年、32歳になった直美さんは体外受精をすることを決断しました。痛みに耐え、無事2つの卵子を採取することに成功し、直美さんは妊娠。そして2016年10月18日、女の子(彩葉ちゃん)が生まれました。
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