山田喜久夫は今…わらび餅屋さんに転身|爆報!THEフライデー

山田喜久夫(やまだきくお)さんは愛知県東邦高校のエースで、甲子園に3度出場し優勝も果たし、当時の球児の人気投票でも1位に。ミスター甲子園と呼ばれました。

その後、中日ドラゴンズで中継ぎのエースとして活躍。23歳の時には年俸3000万円に。そんな山田喜久夫さんが歴史に名を刻んだのが1994年、プロ野球中継史上最高視聴率48.8%を記録した10.8決戦です。巨人と中日が同一首位で並んだまま優勝争いが最終戦までもつれにもつれ、この試合に勝利した方がリーグ優勝「世紀の一戦」と呼ばれました。

そんな試合で山田喜久夫さんは2番手として登板。巨人が勝利し優勝しました。その後、山田喜久夫さんは28歳で引退。表舞台から姿を消しました。

現在、山田喜久夫さんはわらび餅屋さんになっています。「喜来もち ろまん亭」は開業資金を安く抑えるため、喫茶店の居ぬきを利用し2年前にオープンさせました。しかし、なぜスター選手だった山田喜久夫さんがわらび餅屋さんになったのでしょうか?

28歳で現役を引退した山田喜久夫さんは、裏方となり選手の練習相手バッティングピッチャーとして働いていました。その頃、スチールカメラマンをしていた尚美さんと球場で出会い結婚。3人の男の子も授かり慎ましく第2の人生を送っていました。

しかし、裏方になって12年目、何の前触れのなく突如クビに。41歳にして無職になってしまったのです。

家族を養うため慣れないスーツを着て車のETCカードの営業を始めました。しかし、学歴もなく営業トークも出来ない山田喜久夫さんは契約を取ることができず3ヶ月で戦力外に。

そこで山田喜久夫さんは知り合いのつてを頼り、わらび餅屋さんに弟子入り。1年間の修行中、給料はゼロでした。そのため妻の尚美さんが子育ての合間をぬって家政婦のパートをして生活費を稼ぎました。

人生の一発逆転をかけ山田喜久夫さんが手間暇かけたわらび餅は1個120円と強気の値段です。しかし240個のわらび餅が3時間で完売。

喜来もちを食べると他のを食べられないくらい美味しい(お客さん)

さらに今、生チョコわらび餅が斬新だとチョコレート業界でも話題に。この大繁盛のおかげで今では4LDKの高級マンションで暮らしています。そして3人の息子たちは父の背中を追いプロ野球選手を目指しています。

「爆報!THEフライデー」
あの人は今…大追跡SP

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